Patricia Delgado Returns to Miami City Ballet—as a Choreographer
元プリンシパルのパトリシア・デルガドが振付家としてマイアミ・シティ・バレエに復帰、新作バレエを世界初演へ

パトリシア・デルガドのマイアミ・シティ・バレエ(MCB)への復帰はずっと待ち望まれていたものだった。MCBがゴンサロ・ガルシアの新芸術監督就任を発表して以来、それは彼の念頭に常にあった。発表当日、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューでガルシアは、元MCBプリンシパルダンサーである彼女に同団で初となる作品を振り付けてもらいたいと語っていた。それから約1年半を経て、10月16日にMCBのプログラム「American Rhythms」の一部として、デルガド初のバレエ作品『Push the Buttons of the Civilized』が世界初演されることでその構想が結実する。
2017年にマイアミを離れて以来、デルガドはダンサー、教師、プロデューサーとして活動し、夫のジャスティン・ペックとともに振付家としても名を馳せてきた。2人はブロードウェイミュージカル『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などのプロジェクトで協働し、2025年にトニー賞を受賞した。デルガドは最近、グロリア・エステファンと娘のエミリー・エステファンが音楽を手掛けたミュージカル『Basura』で初めて単独で振付を行った。しかし、彼女が単独でバレエ作品を創作するのは『Push the Buttons of the Civilized』が初となる。
「私が携わってきた他のプロジェクトの多くでは、ダンサーは演技や歌もこなさなければならず、ダンスは脚本のためにありました」と彼女は『Pointe』誌に語る。「今回は、自分が望むあらゆる方法でダンスを創り上げられる力があると感じています」。
デルガドは、MCBからのこの新作委嘱のために再びエミリー・エステファンとタッグを組む。このプロジェクトは、MCBで17年間ダンサーとして踊り、付属スクールで学んだだけでなく、マイアミで生まれ育ったデルガドにとって、文字通り「故郷への帰還」でもある。先月、『Pointe』誌は彼女にこれまでの経験について話を聞いた。
――このバレエはどのようにして生まれたのですか?
「最初のきっかけは『Basura』に取り組んでいた時でした。エミリー・エステファンは芸術家として、また同じ志を持つ人物として強く印象に残りました。私たちは二人ともマイアミで育ち、キューバ系アメリカ人の第1世代または第2世代(デルガドが第1世代、エステファンが第2世代)ですが、全く異なる世界の出身でした。私は彼女の2017年のデビューアルバムにとても魅了されました。それを聴きながらダンスが形作られていくのを想像したのですが、そんなことはこれまでに一度もありませんでした」
――『Push the Buttons of the Civilized』の音楽の大部分はエミリーのデビューアルバムからのものですね。制作過程における彼女の役割はどのようなものでしたか?
「バレエの上演中、エミリーは舞台上に立ち、歌い、ギターを弾き、ドラムを演奏します。そしてピットのオーケストラが彼女の作曲・プロデュースした楽曲を演奏します。彼女はあらゆる段階に関わってきました。彼女は動きの骨格であり、精神のような存在です。彼女がここまで深く打ち込んでくれて本当に嬉しいです」
――振付家として「ホーム」であるMCBに戻った感覚はどうですか?
「緊張しました。他人のビジョンに参加するのではなく、自分自身の声を持ち、自分なりの方法で恩返しをするというような機会を与えられたことがなかったからです。しかし戻った瞬間、これまでにないほど『自分自身』とつながることができました。とても満たされていて、自然に感じられました。
初日、カンパニーに挨拶した時は胸が詰まりました。自分がそこで生徒だった頃を思い出したからです。ダンサーたちとの作業は彼らのシーズンの初日に始めましたが、私自身は1年前にスタジオで1人でバレエの制作を始めていました。入念な準備とアドレナリンを携えてスタジオに入りました。コミュニケーションは非常に早く進みました。ダンサーたちは最初から私がやろうとしていることを理解し、私と共にあってくれました」
――このバレエのビジョンは何でしたか?
「コンサートのようなエネルギーがあり、誠実で繊細なダンサーたちが互いに、そして観客と対話する世界を作りたかったのです。極めてクラシカルな方法でありながら、ラテンのソーシャルダンスやアフロ・カリビアン・スタイルの影響も取り入れています。私が最も心を動かされるのは、ダンスが真に人間的であり、ダンサーが動き出す前は必ずしもダンサーのように見えない瞬間です」
――以前の振付プロジェクトには脚本やミュージカルナンバーが定まっていました。全く新しいものをどのように創作しましたか?
「どこから始めればいいのか分からず、とても怖かったです。最初にやったのは大まかな物語を作ることでした。それが自分にとって最も進めやすい出発点だと感じたからです。動きの源泉やキャラクターの由来となる種として、制作プロセスの中に確かにストーリーはありました。しかし、これをストーリー・バレエや物語主導の作品と呼べるかどうかはまだわかりません。
ある1曲(現在はバレエのプロローグとなっています)には、エミリーの祖母が子守唄を歌う場面があります。それによって、自分たちの祖父母が幼い子どもを連れてキューバを離れ、新しい生活を始めなければならなかったときに何を経験したのだろうかと考えさせられました。そこで私は、親となる男女の姿と、生まれたばかりの娘を世に送り出す際の彼らの苦闘、そしてこの新しい世界で彼らの人生がどうなっていくのか、というところから始めました」
――ご自身の家族の歴史と似ているように思えますが、自伝的と言えますか?
「自伝的では全くありませんが、極めて個人的なものです。時にはすべての登場人物の中に自分自身を見出すことがあるからです。エミリー、あるいは私の視点から見たエミリーの要素も多く含まれています」
――これまでのプロセスから、今後のプロジェクトに応用したい学びはありましたか?
「振付へのアプローチにはさまざまな方法があることを学びました。ジャスティンの手法を間近で見て、彼と彼の作品に畏敬の念を抱いていたため、以前は何かに挑戦することをためらっていました。今ではそれをインスピレーションとして捉えています。自分の身体だけで全てを解決しようとする必要はないということも、素晴らしい学びでした。ダンサーたちがこの経験にもたらしてくれたものは大きく、コラボレーションこそが新たなものを生み出すのだと信頼できるようになりました」
