Very relaxed and also incredibly obsessed and tenacious: Violinist Anthea Kreston talks about “Crescendo: Chronicles of an Adventurous Violinist” - Oregon ArtsWatch
ヴァイオリニストのアンテア・クレストン、回想録『クレッシェンド』を出版し執筆経緯や激動のキャリアを語る
オール・クラシカル・レディオのアーティスト・イン・レジデンスを務めるヴァイオリニストのアンテア・クレストンが、ポール・ドライ・ブックスから回想録『クレッシェンド:波乱に満ちたヴァイオリニストの年代記(Crescendo: Chronicles of an Adventurous Violinist)』を出版した。この本は、若きヴァイオリニストとしての初期の時代、カーティス音楽院での学び、名門アルテミス・カルテットのメンバーとしての時期(2016〜2019年)、母親業、バーンアウトなどを網羅した生き生きとした回想録である。ストレスとの闘いを含むクレストンの飾らない告白は読み応えがあり、コミューンで暮らした時期、ヴァイオリンを紛失した経験、そしてノーマン・レブレヒトの影響力あるオンライン・クラシック音楽誌「Slipped Disc」への寄稿などが描かれている。
クレストンは現在、2人の娘とチェリストの夫ジェイソン・ダックルズとともにコーバリスに住んでいる。彼女はデルガニ弦楽四重奏団、サンダー・エッグ・コンソート、アメリア・ピアノ・トリオのメンバーでもある。また、『クレッシェンド』の発表に合わせて自身の人生に基づいた一人芝居も制作している。
クレストン自身と彼女の新刊について詳しく知るため、Zoomで取材を行った。
「私は初めて本を書きました」とクレストンは語った。「ポール・ドライ・ブックスという出版社に出会えて本当に幸運でした。彼らには全国に営業担当者がいて、私の本を持って書店を回ってくれています。出版社の代表は非常に多彩な本を扱っており、長年絶版になっていた本の復刊など何でも手掛けています。情熱を傾ける対象には全力を注いでくれる人です」。
クレストンの音楽制作への情熱は、彼女の性格にも反映されている。
「私は非常にリラックスしていると同時に、信じられないほど執念深く粘り強い性格です」と彼女は言う。「とてもカジュアルな形で、極めて競争心が強いのです。私の人生には山もあれば谷もあります。コーバリスを選んだのはこの土地が好きだからであり、誰もがなりたい自分になれる場所だからです。この本を世に出すことは私を再び燃え上がらせています。これはまさに私の人生のクレッシェンドであり、プロセス全体に粘り強く取り組みました。私は以前にもクラシック雑誌向けに乾いた記事を書いたことがあります。例えばショパンのピアノ三重奏曲の新編曲についてなどです。アルテミス・カルテットに加入するためにドイツへ移住した際、それは大きなニュースになりました。なぜなら、ヨーロッパのエリート弦楽四重奏団で演奏している唯一のアメリカ人ヴァイオリニストだったからです。それは非常に閉鎖的で国家主義的な世界です。フランスの四重奏団ならフランス人4人(大抵は男性)、イタリアの四重奏団ならイタリア人4人(典型的には男性)という具合です。私はアルテミスの募集で241人目の応募者で、彼らは7か月間も探していました。さらにそのとき、私はまさに母親業の真っ只中で、当時は3歳と5歳の子どもがいました」。
アルテミスでの活動を始めたとき、彼女はノーマン・レブレヒトの「Slipped Disc」にも寄稿し始めた。
「ノーマン・レブレヒトから連絡が来たのですが、私は母親業に忙殺されていました」と彼女は振り返る。「彼のことも雑誌のことも全く知らず、ただ授乳していただけでした。彼から連絡があり、『仕事を勝ち取ったことについて、1回限りの記事を書いてくれないか』と頼まれました。私は荷物をまとめるためにオレゴンに戻りました。家や車を処分するのに2週間しかありませんでした。夫のジェイソンのキャリアも考慮しなければならず、彼はウィラメット大学を辞めなければなりませんでした。私は丸1年分のコンサート予定をキャンセルし、娘たちをまとめ、皆に別れを告げなければなりませんでした。するとノーマンは『今あなたに起きていることをありのまま書いてくれないか』と言いました。そこで私は、別れを告げることや起きていることについて、とても生々しい文章を書きました」。
彼女が「Slipped Disc」に寄せた記事はすぐに読者の共感を呼んだ。
「それからノーマンから返信がありました」とクレストンは話す。「彼は『ものすごい反響だから、これを半年間毎週書いてほしい』と言いました。マネージャーとアルテミス・カルテットに確認して許可をもらい、半年間毎週執筆しました。そこで終わると思っていたのですが、彼は『熱心な読者が2万人いるんだ。今やめるわけにはいかない』と言いました。それは4年間ずっと続き、私がオレゴンに戻った後も彼は前向きに応援してくれました。実際、私を作家だと最初に言ってくれたのは彼でした」。
「私は作家としての教育を受けていません」とクレストンは付け加えた。「文章教室などに通ったこともありません。しかし彼は『君の中には本がある。座ってその本が何なのかを考えるべきだ』と言い張りました」。
クレストンはパンデミックの最中に『クレッシェンド』の執筆を始めた。彼女によれば、本を5回書き直し、2人のエージェントと3社の出版社を経たという。「執筆作業は過去6年間にわたりました」とクレストンは言う。「エージェントも積極的に探し始めました。それに約1年かかり、最初のエージェントが出版社を見つけましたが、私はもっと良いエージェントとより良い出版社を望んでいると気づきました。より良いエージェントを見つけるのにさらに1年かかりました。彼女の助言を受け入れて本を書き直し、より高いレベルを目指して努力を続けました」。
多忙な生活の中で、クレストンは移動中に回想録を書いた。「私はすべて携帯電話で執筆しました」と彼女は語る。「母親ですから。スーパーで買い物をしながら、あるいは歯医者にいる合間に走り回りながら書きました。落ち着いて座って書ける場所などありませんでした。基本的に『クレッシェンド』は直線的ではない時系列の回想録で、とても生々しいものです。ノーマン・レブレヒトのために書いたのと同じスタイルです。ヴァイオリニストとして生々しく、真実で、正直でなければなりません。本を書くことは、ブラームスのソナタやその他の曲を学ぶことと何ら変わりません。展開があり、主題があり、逸脱があり、大団円があり、解決があるのです」。
クレストンにとって、彼女のヴァイオリンは苦楽を共に常にしてきた存在である。
「自分のヴァイオリンについて話すと、とても感情的になります。祖父が亡くなって8年後に私に贈ってくれた楽器だからです」とクレストンは述べた。「私が14歳のとき、両親から祖父が私のために遺産信託を残してくれていたと知らされました。その信託が利用可能になり、ヴァイオリンを購入するためだけに指定されていました。1928年製のカール・ベッカーのその楽器を手にすると、祖父が私と一緒にいてくれるように感じられます。娘たちを妊娠していたときに練習していた楽器であり、夫に出会ったときの楽器でもあります。ドイツにいる間に盗難に遭いましたが……」。
※訂正(2026年10月14日):翻訳元の記事では、愛器の製作者が「ポール・ベッカー」とされていましたが、バイエルン放送のBR-KLASSIKおよび弦楽器専門誌The Stradの2016年の報道で確認し、「カール・ベッカー」に改めました。