런던 로열 앨버트홀, 도시를 읽는 아름다운 방법 - 한국아파트신문
ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール、都市を読み解く美しい方法
[キム・ユンジョンのクラシック散策]
8月のロンドンは思ったより肌寒かった。遠い旅行を計画する時、その都市を代表する公演場のスケジュール表から探すことにしている。そこの人々がどんな表情で芸術を楽しんでいるのかを見るだけでも、旅行の理由は十分だ。見知らぬ人々と同空間で音楽を聴くことは、固まっていた感覚を呼び覚ます。公演場は、その都市の日常に最も近い場所で出会う空間でもある。
ロンドンの文化芸術の中心地、コヴェント・ガーデンにあるロイヤル・オペラ・ハウスを訪れた時のことだ。公演前、ロビーで偶然出会ったロンドン在住の韓国人が興味深い話を聞かせてくれた。「今、ロイヤル・アルバート・ホールでも音楽祭が真っ最中のようです。時間があればぜひ行ってみてください。」
検索してみると、イギリスを代表するクラシック音楽祭「BBCプロムス(BBC Proms)」が真夏のロンドンを彩っていた。ちょうど翌日には、BBCスコットランド交響楽団がドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」を演奏する予定だった。当日のスタンディングチケット価格は8ポンド、韓国のお金で1万ウォン余りだった。迷う理由はなかった。
ロイヤル・アルバート・ホールは1871年、ヴィクトリア女王が夫アルバート公を称えるためにハイド・パーク近郊のサウス・ケンジントンに建てた、赤いドーム型の円形公演場だ。外観の壮大さに感嘆したのも束の間、扉を開けて入った客席で慣れない光景に直面した。よくクラシック公演場といえば思い浮かぶ格式や特有の厳粛さは、そこにはなかった。
舞台前のスタンディングエリアであるアリーナには、短パン姿の観客たちがビールグラスを持って自由に立っていた。「散策(Promenade)」という音楽祭の名前のように、観客の態度や服装には何の重苦しさもなく、音楽はまるで軽い休息のように空間に染み込んでいた。観客が立って移動しながら音楽を鑑賞した19世紀の「プロムナード・コンサート」の慣行が、今日まで続いているわけだ。公演を待つ間に交わされる笑いや会話の声さえも、公演の一部のように感じられた。
その日の演奏には惜しさが残ったが、今も鮮明に浮かぶのは音楽よりもその日の空気だ。足が痛くてしばらくアリーナの床に座り込んで音楽を聴く自分の姿が不慣れだったが、誰一人として眉をひそめたり気にしたりしなかった。他人の視線から自由になる解放感が押し寄せてきた。
その日、私の隣にはロンドンに住んでいるという中国人の女性チェンが立っていた。育児から少し離れて一人で公演を見に来た彼女と、拙い英語で交わした会話は全くぎこちなくなかった。言語も国籍も違ったが、その瞬間、私たちは同じ感情を共有していた。音楽という純粋な言語の前では、誰でもすぐに友達になれることを実感した。公演が終わる頃、チェンと私の間に国境という言葉が入る余地はどこにもなかった。
その日以来、公演場を見る目も少し変わった。公演場は単に音楽だけを聴く場所ではない。その都市が文化を誰に、どのように開いているのかを見せてくれる場所だ。座席配置と視野、チケット価格一つにも、人を扱う方法がそのまま染み込んでいる。
いつかシドニーとシンガポールの公演場で、最も遠い客席や3階の端の席からも舞台がはっきりと見えるのを見て感嘆したことがある。安い座席を選んだ観客にも、舞台だけは平等に開いておくという配慮のように感じられた。BBCプロムスが誰でも気軽にクラシック音楽を楽しめるように敷居を下げた方式も、同じ文脈だろう。公演場を訪れることは、単に音楽を消費する行為を超えて、その都市が人を扱う文化的深さを読み解くことだ。
3年前のロンドンの夏の夜、ロイヤル・アルバート・ホールが見せてくれたのは、伝統を守りながらも誰にでも開かれている風景だった。レンズに収めた記憶はぼやけていくかもしれないが、全身で吸収した感覚は長く痕跡として残る。その日、見知らぬ都市で学んだのは音楽だけではなかった。誰にでも自然に場所を譲り渡す都市の懐だった。その日以来、私が世界を眺める位置も少し変わった。
キム・ユンジョン l 慶熙大学校音楽大学声楽科、延世大学校教育大学院音楽教育修士、2025年学校芸術教育活性化有功教育部長官表彰、現世宗芸術高等学校音楽部長

