WORLD HOT | 소호플레이스 ‘타오 오브 글래스’
演出家フェリム・マクダーモットと現代音楽作曲家フィリップ・グラスによる舞台『タオ・オブ・グラス』がロンドンのソホ・プレイスで上演
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ソホ・プレイス『タオ・オブ・グラス』 7.25〜9.12
グラスの現代音楽を「哲学」と「想像」で彩る
ある音楽家を深く憧憬した演出家の最終結実
芸術家の執着は作品となる。幼少期に同じレコードを何度も繰り返して聴いていたフェリム・マクダーモット(1963〜)は、後に自身が憧れていた作曲家と共に創作する演出家となった。『タオ・オブ・グラス』は、ある作曲家の音楽を長く愛してきた一人の芸術家の極めて個人的な記憶から始まる。
タイトルの「グラス(Glass)」は、アメリカ現代音楽を代表する作曲家フィリップ・グラス(1937〜)の姓である。短い音形を反復しながら微細な変化を重ねていく音楽でよく知られる彼は、オペラ『浜辺のアインシュタイン』(1976)や映画『めぐりあう時間たち』(2002)などの音楽を作曲した。2019年のマンチェスター国際フェスティバルで初演され、今回ロンドンのソホ・プレイスの舞台に上がった『タオ・オブ・グラス』は、グラスの音楽を中心におき、演劇的なストーリーテリング、生演奏、パペットとオブジェのパフォーマンスを共に繰り広げる作品である。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが原作アニメーションを舞台化した『となりのトトロ』(2022)の演出で2023年にローレンス・オリヴィエ賞最優秀演出賞を受賞したマクダーモットが執筆し、カースティ・ハウズリー(1978〜)と共同演出した。マクダーモットは3人の人形遣いと共に自ら自身の物語を語る。舞台の片側にはピアノ、ヴァイオリン、クラリネット、打楽器で構成された演奏者たちが位置し、グラスがこの作品のために書いた10曲の音楽を生演奏する。
未完成の破片を新たに形作る
この作品を作った契機は、マクダーモットとグラスが完成させられなかったプロジェクトだった。二人はモーリス・センダック(1928〜2012)の絵本を共に舞台化しようとしたが、センダックの死によって作業を続けることができなかった。しかし完成しなかった作品も創作者の人生から消え去ることはなかった。その記憶に幼少期や夢、生と死、道教的思索とグラスの音楽が加わり、異なるアイデアの断片が新たな公演の材料となった。
マクダーモットは、グラスの音楽が自身の人生を貫いて流れる大河のようだったと語る。その川を遡ると幼少期のマクダーモットがいる。彼はグラスのレコードを繰り返し聴き、後に憧れの作曲家をこっそり尾行したエピソードを明かしたりもする。ファンと偶像の関係で始まった縁は、ある瞬間から創作者と創作者の関係に変わる。マクダーモットはグラスと共にオペラの仕事を手掛けながら、自身が長く愛した音楽を舞台言語へと翻訳する人物となった。『タオ・オブ・グラス』は、異なる言語で芸術を作る二人が自身の考えを作品を通じて交わし合うプロセスでもある。音楽家は新たな曲を渡し、演出家はその音楽から浮かび上がったイメージと考えを再び舞台の上に載せて相手へと返すのがまさに本作である。
作品を貫く道教的思索
『タオ・オブ・グラス』は、最初はマクダーモットの記憶をたどる自伝的な一人芝居のように始まる。マクダーモットは幼少期の自身とグラスの音楽に初めて出会った瞬間を語る。自然と一人の芸術家の成長物語が続くだろうと予想されるが、物語の輪郭は薄れていく。代わりに音楽が長く続き、人形や影、夢や生と死に関する断想が現れては消える。一つの事件が次の事件を押し進める代わりに、記憶と音楽、哲学とイメージの断片が舞台の至る所に散りばめられる。
ここでタイトルの「タオ」が作品を理解する手がかりとなる。「タオ(Tao)」は「道」を意味する。老子と荘子に代表される道家思想は、何かを無理に統制するよりも自然な流れと変化を受け入れる態度を重視する。『タオ・オブ・グラス』の物語も決まった方向に沿うより自由に流れ、時にはマクダーモットがその瞬間に思い浮かんだ考えを舞台上に広げて見せているかのようだ。「道」という要素は、この作品が何を語るかよりもどのように流れていくかに注目させる。
作品を理解するもう一つの手がかりは、日本の伝統的な陶磁器修復技法である「金継ぎ」だ。公演中、マクダーモットは割れた陶磁器のひびを隠さずに破片を再び継ぎ合わせ、その隙間を金色で際立たせるこの技法について語る。割れた痕跡までも新たな美しさの一部として受け入れるのである。『タオ・オブ・グラス』もまた、幼少期の記憶、完成しなかったプロジェクト、夢と死、パペットと音楽を一つの滑らかな物語として整理しない。「道」が作品の流れる方法を示すとすれば、金継ぎはそのように散らばった材料が一つの作品を成す方法を示している。
抽象から形象へ
音楽的にも視覚的にも美しい場面が多いが、公演のテンポはかなり遅い。物語を追っているとある瞬間に道を見失い、一つのイメージと次のイメージが繋がらないときもある。それでもマクダーモットが抽象的な考えを演劇的イメージへと変える瞬間は強烈だ。グラスの音楽の上に人とオブジェの動きが重なり、耳で聴く音楽は舞台の上のイメージへと拡張される。
楽譜が印刷された大きな薄いシートが舞台の上へと降り注ぎ、四方へと散らばる。3人の人形遣いがそれらを一つずつ集めて保持し形態を作ると、少し前まで散らばっていた楽譜はある瞬間、ピアノの前に座るグラスの形象となる。音楽を記録した紙が、その音楽を作った人間の身体を作り出す瞬間だ。ピアノ内部のハンマーと構造物はニューヨークのスカイラインへと変わり、紙と楽譜、人形と人間の身体は絶え間なく新たな風景を作り出す。何かが作られる過程を隠さないまま、目の前の物質が全く異なる存在へと変わる瞬間、『となりのトトロ』でも輝いたマクダーモットの演劇的想像力がもう一度姿を現す。散らばった楽譜が集まって新たな形象を生み出すように、この公演もまたマクダーモットの人生に残されたいくつもの断片から生まれた。
10代の頃にグラスの音楽を執拗に繰り返して聴いた記憶も、最後まで完成させられなかったプロジェクトも、芸術家にとっては捨て去られる時間ではない。昔からの憧れはグラスとの協働へと繋がり、未完成のまま残された作業は新たな創作の材料となった。割れた破片の痕跡をそのまま残したまま新たな形態を作り出す金継ぎのように、マクダーモットは自身の記憶と執着、失敗を再び繋ぎ合わせて一つの公演として完成させた。