日本語要約
バリトン歌手マルク・モーヨンとラルス・ウルリク・モルテンセン率いるコンチェルト・コペンハーゲンによる、モンテヴェルディとその同時代の作曲家たちに焦点を当てたリサイタルのレビュー。本公演は、モンテヴェルディの音楽を単なる過去の残響としてではなく、同時代の作曲家たち(ストラデッラ、カッチーニ、デ・ローレ、ペーリ、ストロッツィら)との対話を通じて、人間の情熱を体現する「星座」のようなプログラムとして構成されている。ストラデッラのオラトリオやモンテヴェルディの『オルフェオ』などの名曲を交え、バロック初期の音楽が持つ情熱と演劇性を鮮やかに描き出した。
全文(日本語)
「エコー(残響)」とは、過去に放たれた音、しばしば叫び声が変形したものであり、その波紋は現在にも浸透し、終焉に向かって少しずつ変形し、最終的には沈黙へと帰していくものである。しかし、マルク・モーヨンとラルス・ウルリク・モルテンセン(指揮・通奏低音)率いるコンチェルト・コペンハーゲンが提示したプログラムは、この定義を完全にはなぞらない。モンテヴェルディの音楽はここで変形されることも、徐々に消えゆくこともない(幸いなことに)。
ここで探求される「エコー」は、実際には「星座」に近い。選曲された作品は、場所と時間の両面においてモンテヴェルディと多かれ少なかれ同時代のものである。それらはヴェネツィアの作曲家の音楽の中で響き続け、あるいはモンテヴェルディの音楽がそれらの中に響きを見出す。知名度の差はあれど、この素晴らしいプログラムに選ばれた作曲家たちは「人間は情熱でできている。それを体現せねばならない」という共通の叫びを持っている。
めったに演奏されないストラデッラ(1634-1682)のオラトリオ『フラ・ジョヴァンニ・バッティスタ』の断片が再演され、教会からオペラの舞台へと脱却しようとする意志が感じられた。また、モンテヴェルディの『オルフェオ』やマドリガーレ集第7巻の『私は竪琴を調律する(Tempro la cetra)』が再演(あるいは再発見)され、カッチーニ(1550-1618)への愛着が深まるとともに、デ・ローレ(1515-1565)、ペーリ(1561-1633)、ストロッツィ(1510-1558)といった素晴らしい作曲家たちとの出会いがあった。これらの残響が、モンテヴェルディの中へ、あるいはモンテヴェルディから響き渡らんことを。
原文(抜粋)
L’écho, c’est la version déformée d’un son – souvent d’un cri – lancé dans le passé et dont les ondes innervent encore le présent pour, jeté vers sa fin, se déformer toujours un peu plus et finalement mourir – revenir au silence originel. Le programme proposé par Marc Mauillon et le Concerto Copenhagen, sous la direction (et le continuo) de Lars Ulrik Mortensen, n’embrasse pas tout à fait cette définition : Monteverdi n’y est pas déformé, il n’y meurt pas peu à peu (tant mieux). L’écho qui y est exploré tient en réalité davantage de la constellation : les œuvres proposées sont plus ou moins contemporaines de Monteverdi en termes de lieux et de temps. Tantôt elles continuent de résonner dans la musique du compositeur de Venise, tantôt c’est la musique de Monteverdi qui continue d’y trouver …
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