N響に登場した巨匠指揮者列伝 第1回 ロヴロ・フォン・マタチッチ
N響に登場した巨匠指揮者列伝 第1回 ロヴロ・フォン・マタチッチ

NHK交響楽団(N響)の創立100年に向け、同団の歴史を彩った巨匠指揮者たちを振り返る連載の第1回として、ロヴロ・フォン・マタチッチを取り上げる。
マタチッチが初めてN響を指揮したのは1965年9月4日、NHK放送開始40周年記念の「スラブ歌劇」公演でのムソルグスキー《ボリス・ゴドノフ》であった。この出会いは双方にとって衝撃的であり、1984年3月24日の第927回定期公演まで約20年間の関係が続いた。N響機関誌『フィルハーモニー』の座談会では、楽団員から「魔力や圧力がある」「緊張を押し付けず任せてくれる」と評され、その音楽は「草書体」と形容された。1967年にはN響から名誉指揮者の称号が贈られている。
マタチッチは1899年クロアチア生まれ。ウィーン少年合唱団を経てウィーン高等音楽学校で学び、オスカル・ネドバルに指揮法を師事した。1919年にケルン歌劇場の合唱指揮者としてキャリアを開始。1938年にはベオグラード・オペラの音楽総監督に就任したが、第二次世界大戦後は活動の場を失った。その後、カラヤンの支援もあり、1950年代半ばから西側で活動を再開。ドレスデン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、フランクフルト市立歌劇場などで音楽総監督を歴任した。
N響との唯一のセッション録音は「ワーグナー管弦楽曲集」である。また、ライヴ録音も多数リリースされており、1965年の《ボリス・ゴドノフ》初日公演や、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキー、スメタナ《わが祖国》などが知られる。マタチッチは「ブルックナーとワーグナーが一番好き」と語り、剛毅でスケールの大きな音楽づくりでファンを魅了した。
私生活ではお酒や談笑を好み、楽団員からは「マタ公」と呼ばれ親しまれた。1984年の来日時には、疲労のため椅子に座って指揮をする場面もあったが、これが最後の来日となった。1985年1月4日、ザグレブにて85歳で逝去した。