A Flagey, Arcadi Volodos dans Schubert et Chopin : sous la Terre comme aux cieux
フラジェにて、アルカディ・ヴォロドスが奏でるシューベルトとショパン:地の下から天の上まで
フラジェのスタジオ4での5回目の公演において、アルカディ・ヴォロドスはシューベルトのピアノソナタ第18番(幻想ソナタ)とショパンのピアノソナタ第2番(葬送)という対決に挑んだ。
ソニーからの録音から四半世紀を経て、ヴォロドスは2026年のツアーでシューベルトの記念碑的なト長調ソナタ(D. 894)に回帰した。第1楽章に冠された「幻想」というドイツ語の呼称は、ソナタ形式の厳格さを鑑みれば形式的にはやや不適切だが、ヴォロドスはまさにその幻想的で「ロマン的」な物語性を強調しようとしている。冒頭の和音から、20分を超えるモルト・モデラート・エ・カンタービレにおいて、彼はその非実体的な響きと繊細なニュアンスの制御により、失われた楽園のような世界を構築した。テンポの不安定さや大胆なアゴーギクはあるものの、本質は展開部の強固な対比にある。再現部からコーダにかけて、音色は輝きを増し、ペダリングとタッチの完璧な制御によって、静寂へと溶け込むような精神的な高みへと導かれた。これはウィーン風の伝統的な解釈とは異なるが、リヒテルのようなアプローチとも一線を画すものである。
続く楽章でも、ヴォロドスは「過酷な現実と夢見られた生」という対立を軸に、ドラマチックな強度を高めていった。アンダンテの貴族的な簡潔さは、ウィーン的な親密さとは無縁であり、続くロ短調の挿入部の急激な落差を際立たせた。メヌエットは舞踏的な優雅さを排し、トリオとの対比を強調した。終楽章では、一見穏やかながらも左手の容赦ないアーティキュレーションによって悲痛な憧憬(Sehnsucht)を浮かび上がらせ、最後は透明感のあるコーダで締めくくった。
休憩後、ヴォロドスはショパンに向き合った。彼は葬送ソナタの前に、明暗の習作として小品群を配置した。各作品を途切れなく繋ぐことで、演奏会特有の呼吸を拒絶し、聴衆の拍手や呼吸さえも遮断するような連続性を生み出した。マズルカ作品33-4、作品41-2、作品63-2は、民俗舞曲の枠を超え、病的な小品として提示された。続いて演奏された前奏曲作品45は、水のような響きを伴う瞑想的な演奏となり、そのまま葬送ソナタへと接続された。
ヴォロドスは、ショパンの葬送ソナタを宇宙的な規模の悲劇として描き出した。冒頭のグラーヴェは地殻が裂けるような交響的な響きで始まり、ドッピオ・モヴィメントの焦燥感は息苦しいほどの切迫感を持って処理された。この解釈は非常に刺激的でありながら、従来の「古典的」な規範からは大きく逸脱した議論を呼ぶものとなった。