Enregistrement inédit d’André Cluytens, « le gentleman du pupitre »
アンドレ・クリュイタンス指揮フィルハーモニア管弦楽団による1954年ルツェルン音楽祭の未発表録音がドイツAuditeレーベルよりリリース
「指揮台の紳士」アンドレ・クリュイタンスの未発表録音
気品、バランス、そしてエネルギー。指揮者アンドレ・クリュイタンスが持つあらゆる資質が、フィルハーモニア管弦楽団を率いた1954年のルツェルン音楽祭でのコンサート未発表録音に凝縮されている。
パリ音楽院管弦楽団を率いた数々のフランス音楽の録音が伝説的であるため、アンドレ・クリュイタンス(1905〜1967)はフランス生粋の音楽家と思われがちだった。しかし実際にはベルギー出身で、アントワープ(父は同地のアントワープ王立歌劇場の指揮者)で生まれ、ベルギーで学び指揮者としての第一歩を踏み出した後、1932年にフランスへ拠点を移した。そして第一線の国際的なキャリアを歩むこととなった。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベートーヴェンの交響曲全集を最初に録音した指揮者であり(カラヤンの3年前となる1960年)、バイロイトに客演した最初のフランス人指揮者でもあり、ウィーンやミラノ・スカラ座(歴史的な『指環』公演)にも招かれ、1946年から1953年までオペラ=コミック座、14年以上にわたりパリ音楽院管弦楽団の音楽監督を務めたクリュイタンスは、フランス音楽からロシア音楽、オペラからロマン派交響曲まで自在にこなす万能な指揮者だった。「指揮台の紳士」の異名をとったクリュイタンスは、明瞭な旋律線、バランス、流麗さに満ちた紛れもない独自の特長を持ち、フランス音楽(特にラヴェルやベルリオーズ)で奇跡的な名演を生み出した。
これらの美質は、ドイツのレーベルAuditeによる未発表録音で確かめることができる。これはクリュイタンスが何度も招聘されたルツェルン音楽祭における、1954年8月28日のコンサートを蘇らせたものである。非常に多彩な能力を持つイギリスのオーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団を率い、クリュイタンスはセザール・フランクの交響曲ニ短調、そしてソリストにイゴール・オイストラフを迎えたアラム・ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲ニ短調という、フランス・ロシア(正確にはベルギー・アルメニア)の驚くべきプログラムを披露した。調性と音楽への愛以外には接点のないように思われる2作品である。フランクの交響曲が重厚で時に厳格であるのに対し、ハチャトゥリアンの協奏曲は雄弁で熱気にあふれている。しかしクリュイタンスは、同じ意欲、惜しみない表現力、明晰さをもってこの2作品に向き合っている。
1886年から1888年にかけて作曲されたセザール・フランクの有名な交響曲ニ短調は、暗闇から光への長大な道のりであり、半音階やライトモチーフにおいてワーグナーの強い影響を受けた壮大でロマン派的な交響曲である。多くの指揮者がこの作品を重々しく、ブルックナー風の大コラールのように大仰に指揮する。しかしクリュイタンスはそのようなアプローチを一切とらず、むしろ前進性のあるテンポを選び、時にこれまでの慣例を打ち破るほどに多様な雰囲気と色彩を織り交ぜる。とりわけ第1楽章(レント―アレグロ・ノン・トロッポ)では、急激なアッチェレランドでフィルハーモニア管の弦と管を容赦なく駆り立てている。比較するならば、クリュイタンスはこの楽章をオーケストラのレガートの名手であるカラヤンやジュリーニなどよりも2分ほど速く駆け抜ける。しかしそれもまた非常に興味深い。第2楽章アレグレットも極めて精緻であり、過剰なロマン派的感情過多を排した終楽章では、暗闇から光への移行の中で交響曲の全主題が交わり、喜びに満ちた結末を迎える。唯一の小さな難点は、(モノラル録音自体は非常に良好な品質であるものの)ティンパニが過剰に前面に出過ぎる傾向がある点である。
後半はアラム・ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲で完全に空気が一変する。独奏には、1940年に同作を初演した偉大なダヴィッド・オイストラフの息子、イゴール・オイストラフが迎えられた。父と同様、ややドライな音色ながらイゴール・オイストラフも雄大な歌を重視する奏者である。その弓使いは大きく伸びやかで叙情的、そして完璧な技巧を備えており、アルメニアの伝統的な旋律やリズムに満ちたこの雄弁な協奏曲の数多の難所を乗り越えるのに理想的である。炎のようなテンポに乗って、クリュイタンスはこの抗いがたい作品全体を通してフィルハーモニア管を鼓舞し続ける。そしてイゴール・オイストラフは、目もくらむようなフィナーレにおいて、可能であるならばテンポの面で父を凌駕しようとさえ挑んでいる。
