Horst Stein, un grand musicien à redécouvrir
ホルスト・シュタイン:再評価されるべき偉大な音楽家

メディアのスターでも解釈の預言者でもなかったホルスト・シュタインは、流行や美学的な論争から距離を置いてキャリアを築いた。このDeccaのアンソロジーは、オーケストラから深く尊敬され、その静かな権威と職人技がここで鮮やかに再評価される音楽家の録音の軌跡を辿る。
ホルスト・シュタインは1928年、ハンス・クナッパーツブッシュやギュンター・ヴァントを輩出したエルバーフェルトに生まれた。合唱と作曲を学んだ後、戦後に指揮者へ転向。1945年からケルンでギュンター・ヴァントに師事した。ハンブルク歌劇場のカペルマイスターを経て、1955年にベルリン国立歌劇場へ移籍。1961年のベルリンの壁建設により一時ハンブルクへ戻った。マンハイム歌劇場(1963-1970年)では、堅実な劇場でオペラ指揮者としての才能を磨いた。
1963年にウィーンで『カルメン』を指揮して注目され、1969年から1971年までウィーン国立歌劇場の首席指揮者を務めた。その後も数十年にわたり500公演を指揮し、名誉団員の称号を得た。ハンブルクにはリーバーマン時代の末期に音楽総監督として復帰し、1977年まで務めた。
1978年からはスイスに移住。1980年から1985年までスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を務めた。1987年から1994年までバーゼルで、また1985年から15年間はバンベルク交響楽団で活躍した。同団では名誉団員となり、並行して日本(NHK交響楽団)でも高い評価を得た。
バイロイト音楽祭では、1952年にヨーゼフ・カイルベルトのアシスタントとしてデビュー。カラヤンやクナッパーツブッシュらと共演した。1969年、ヴォルフガング・ワーグナーの信頼を得て『パルジファル』を指揮。以降、音楽祭の柱となり、1975年の『パルジファル』や『指環』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、『トリスタンとイゾルデ』、『タンホイザー』などを指揮した。
シュタインは、自身の確固たる信念と厳格さ、プロ意識を持ちつつ、当時の厳しい音楽界を生き抜く外交術も備えていた。カリスマ性や派手さを求めない実直な姿勢は、時に批判も招いた。ウィーンでの『ドン・カルロ』初日での騒動や、スイス・ロマンドでのレパートリーに対する批判など、逆境もあったが、晩年のバンベルクや日本での活動で確固たる評価を確立した。
ディスコグラフィはこうした経緯を反映している。1960年代初頭にはドイツ語によるオペラ抜粋を多く録音。Deccaでの録音も重要である。
