Überwältigendes Konzert: Bielefeld entdeckt einen fast vergessenen Komponisten neu - Neue Westfälische
ビーレフェルトでヘルマン・ズーターのオラトリオ『アシジの聖フランチェスコの賛歌』を再発見、ハーゲン・エンケ指揮ビーレフェルト・オラトリオ合唱団とフィルハーモニーが演奏
ビーレフェルト。「オラトリオ」という言葉を聞いて愛楽家が真っ先に思い浮かべるのはバッハ、ヘンデル、ハイドン、メンデルスゾーンといった名前だろうが、ヘルマン・ズーターの名を聞いたことがある人はどれほどいるだろうか。2012年までビーレフェルト・オラトリオ合唱団の指揮者を務めたハルトムート・シュトゥルムは、後任のハーゲン・エンケに対し、ズーターのオラトリオ『アシジの聖フランチェスコの賛歌(Le Laudi di San Francesco d’Assisi)』(アシジのフランチェスコの「太陽の賛歌」)をエトカーハレの舞台にかけるよう推薦しており、2026年10月(※原文ママ)、ついにそれが実現した。
1870年生まれ、1926年没のスイスの作曲家ヘルマン・ズーターの作品数は30作弱と比較的少ない。しかし興味深いことに『レ・ラウディ』は、オラトリオ合唱団とエールデの合唱団との共同など、東ヴェストファーレン地方で際立った演奏歴を持っている。だが今世紀に入ってからは、この作品26がこの地で聴かれることはなかった。エトカーハレのステージを目にした人は、その理由を察することができただろう。120人の合唱団員、バルコニー席に配置された26人の児童合唱団、フル編成のオーケストラ、ピアノ、オルガン、チェレスタ、そして4人の声楽ソリスト。その規模はマーラーの交響曲第8番に求められる労力と大差ない。
だが実際に『レ・ラウディ』を聴けば、この作品がもっと注目されてしかるべきだと率直に認めざるを得ない。ここで聴かれるのは約75分に及ぶ後期ロマン派の音響芸術であり、非常に変化に富み、独創的で多彩であり、聴衆を力強く引き込む。テノール独唱による「いと高き、全能の、よき主よ(Altissimo, omnipotente, bon Signore)」でドラマティックに幕を開け、そこから強力な合唱や児童合唱を伴う太陽への賛歌へと力強く発展していく。
4人の素晴らしい声楽ソリストが際立ったニュアンスをもたらす
『レ・ラウディ』独自の魅力は、ズーターのオーケストレーションからも生じている。彼は標題音楽が台頭していた時代に作曲しており、各楽章からは星のきらめき、吹き荒れる風、湧き出る水などを聴き取ることができる。劇作法的には、迫力ある合唱曲とソロのアリアやアンサンブルのパッセージが交互に現れる。
ハーゲン・エンケは今回の公演のために4人の素晴らしい声楽ソリストを迎えた。ニーンケ・オッテンのソプラノは澄み切ってエレガントであり、ジュヌヴィエーヴ・チュミのアルトは高音から低音まで説得力ある力強さと温かい響きを持ち、彼女のアリア「我らの姉妹なる母なる大地のために(… per sora nostra matre terra)」(第6曲)はその素朴さにおいて胸を打つ美しさだった。ミヒャエル・プフルムは冒頭からテノールのパートを見事に表現し、アントン・ハウプトのバリトンはスマートでエレガントだった。
オラトリオのハイライトの一つは、間違いなく四重唱「水なる姉妹のために(… per sor’ acqua)」(第4曲)であり、4つの声が絡み合い、メンデルスゾーンのような優雅さを醸し出していた。終曲部分は冒頭と同様にバリトンの独唱でグレゴリオ聖歌を思わせるように始まり、その後圧倒的なフィナーレへと高まっていく。
オラトリオ合唱団がどれほど『レ・ラウディ』に夢中になっていたかは、その表情や歌声から見て取れた。彼らは大きな熱意と正確さ(合唱フーガなど)をもってアプローチしていた。パッサカリア(第5曲)では合唱が見事に際立っていた。ビーレフェルト・フィルハーモニカーは期待を裏切らず全パートで説得力のある演奏を披露した。大オルガンはパク・ヒョンスン、ピアノはパク・グヌ、チェレスタはアナヒット・テル=タッシャティアンが担当した。そして合唱指揮者のハーゲン・エンケはこの巨大な音の塊を見事に統率し、バランスが取れ、かつ迫力のある演奏を実現させた。
最後は聴衆からのスタンディングオベーションで締めくくられた。ズーターによるアシジのフランチェスコの「太陽の賛歌」が、再び演奏機会の眠りについてしまうとすれば、実に惜しいことである。

