Butterfly and Così at Glimmerglass
グリマーグラスでの『蝶々夫人』と『コジ』

プッチーニの『蝶々夫人』と、ケリー・ロークおよびエリック・アインホーンによる『コジ』(モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』のスコアを基にしているが、同作と混同してはならない)が上演された。
『蝶々夫人』は、フランチェスカ・ザンベッロによる2014年のプロダクションの再演で、マイケル・ヤーガンが美術を担当した。ザンベッロはプッチーニの傑作を、通常の日本家屋やデヴィッド・ベラスコの描く長崎の丘ではなく、世紀末の米国領事館を舞台に設定した。そこには時折、ビザを求めて詰めかける女性や子供たちの姿がある。
領事シャープレスの机からウイスキーのボトルが取り出され、ピンカートンと蝶々夫人の結婚が正式なものとなる。蝶々夫人は母親と召使いたちを伴って現れる。通常は芸者たちが歌う美しい合唱「Ah! Ah! quanto cielo」は、領事館職員の妻と思われる白い服を着たアメリカ人女性たちによって歌われた。
奇妙なことに、蝶々夫人は自身の年齢を台本の「15歳」ではなく「18歳」と告げた。これはジェフリー・エプスタイン事件を考慮した変更かもしれない(ニューヨーク州の性的同意年齢は17歳だが、イタリア語で17は4音節の「diciasette」である)。
長崎の領事館は、結婚の夜、徹夜の祈り、そして死の場面に合わせて、何もない傾斜した舞台へと変化した。徹夜の祈りの終盤には、20世紀初頭の灰色の戦艦3隻が写る巨大なモノクロ写真が投影された。
特に印象的だったのは、同じく領事館を舞台にした第2幕の美しいテンポ感である。蝶々夫人の「ある晴れた日に」は、ピンカートンの帰還を想像する場面から始まり、劇の流れに完璧に統合されていた。その後、子供が登場し、ドラマの重要な役割を担う。シャープレスが蝶々夫人の美しい幻想を打ち砕くが、その幻想は徹夜の祈りの悲劇的な皮肉の中で維持される。
蝶々夫人を演じたのは48歳の日本人ソプラノ、中村恵理である。彼女は自身の声の成熟を隠そうとはしない。通常の蝶々夫人のような甘さを避け、悲劇のヒロインとしての重みを見出し、ディドーの威厳とトスカの情熱を表現した。中村の蝶々夫人は、ピンカートンのために自分の世界と知るものすべてを放棄するという犠牲を最初から自覚していた。第1幕終盤の誘惑の場面は、彼女にとって知っている世界を去る苦悩として描かれた。
第2幕で中村は、捨てられた状況と子供への母性愛、そして未知の世界へ向かう子供の未来への期待の間で揺れ動くスピント・ソプラノとしての姿を見せた。第3幕の死は、日本的な慣習に従った諦めではなく、子供を残して去る母親の苦悩として描かれた。「Tu, tu, tu」は叫ぶように歌われ、巨大な血のような赤い布が舞台上部から落下した。
ピンカートンが蝶々夫人の遺体に駆け寄り、続いて子供のトラブルも遺体の上に倒れ込んだ。感動的で思慮深いプロダクションの結末としては、やや感傷的すぎたかもしれない。この死の場面の効果は、指揮者ジョセフ・コラネリがヒロインの苦悶の最中に課した、音楽的に作為的な間によって損なわれた。しかし、それ以外ではプッチーニのスコアを効果的かつ慣用的に解釈していた。
トラブル役のプライヤー・パーカーは、歌のない役ながら自信に満ちた演技で重要な役割を果たした。演出補佐はジョシュア・R・ホロウィッツが務めた。スズキ役のミシェル・マリポサは、900席の会場で美しく力強い声を響かせた。ピンカートン役のエリック・テイラーは、輝きのある大きな声で情熱的なパフォーマンスを見せた。シャープレス役のトロイ・クックは、無機質な官僚という役柄を効果的に演じた。ゴロー役のランディ・ホー、ヤマドリ役のジョセフ・パーク、ボンゾ役のウース・ハムら、若手アーティストプログラムのメンバーも好演した。
『コジ』については、モーツァルトの作品をいかにしてイベントに変えるかという点が問われる。

