Les Haïkus de Florentine Mulsant chez Maurice Ravel
モーリス・ラヴェルの邸宅にて:フローランティーヌ・ミュルサンの「俳句」
モンフォール=ラモーリーにあるモーリス・ラヴェルの邸宅「ル・ベルヴェデール」の庭園で、日曜の午後にサンドラ・シャムーによって行われたフローランティーヌ・ミュルサンの『ピアノのための15の俳句』の初演ほど、完璧なシチュエーションはなかっただろう。
ラヴェルが設計した邸宅の庭を見下ろす場所に、初めてピアノが設置された。ラヴェルがバルコニーの木製手すりに肘をつき、ランブイエの森の地平線を眺めていたであろうその場所の下で、演奏が行われた。日本に触発された邸宅と庭という、小さくミニマルな王国において、俳句を朗読し、その音楽版を少人数の前で演奏することは、少しも不自然ではなく、むしろ非常に調和のとれたものだった。作曲家がかつて愛用したエラール社のピアノで多くの作品を生み出したこの場所で、世界初演が行われたのも初めてのことである。ドビュッシー、ラヴェル、メシアンの系譜に連なるフローランティーヌ・ミュルサンの現代音楽と、当時のまま残された邸宅の詩的な世界との出会いは、モーリス・ラヴェル美術館の館長アンヌ・ミリオン=フォンテーヌが企画した「庭園でのランデブー」の一環として実現した。
最近、コルトーホールで同じピアニストによって演奏されたフィリップ・エルサンの『エフェメール(はかなきもの)』と同様に、フローランティーヌ・ミュルサンは俳句の大家である松尾芭蕉の句から15編を選び、それらから受けたインスピレーションを五線譜に書き留めた。彼女は簡潔さ、示唆、そして純化の芸術に身を委ねている。リサイタルは儀式のように進行する。各詩はフランス語訳でミュルサン自身によって朗読され、その後、伝統的な着物をまとったジュリア・アカツ・ストヤノフにマイクが渡され、日本語で朗読される。音楽は、その朗読の抑揚から自然に続くように流れ、書き言葉としても聴覚的にも、詩と音楽を隔てる区切りは存在しない。
それぞれの詩は、季節や一日の時間とともに移ろい、色彩豊かに振動する感覚的な宇宙である。作曲家は、わずかな言葉からなる俳句の真髄を音楽に昇華させ、完璧な構成を持ちながらも、その瞬間に生まれたかのような繊細な詩的喚起を作り上げた。ここで重要なのは「瞬間」であり、ジャンケレヴィッチが大切にしたその神秘である。俳句から俳句へと物語的なつながりはないが、それぞれの音楽的バージョンは独自の音響世界を持っている。それは短くありながらも、瞑想を誘うような広がりを感じさせる。限られた手段による表現は、その強烈な感情を凝縮している。各曲は、過剰さを排した洗練されたハーモニーの美しさの中で花開き、しばしば省略法を用いた旋律のモチーフが響きの中から立ち上がる。それは、ピアノの弦を爪弾くことで日本の琴のような繊細さを表現した「バラの花びら」の世界であり、「荒れ狂う海」の儚くも激しいアルペジオ、あるいは「秋の夕暮れ」の鴉を思わせる暗く憂鬱な響き、あるいは「鶉(うずら)」の鳴き声を模した鋭い不協和音の世界である。
フローランティーヌ・ミュルサンの言語は常に認識可能でありながら、ここでは常に刷新されている。それは描写的なものではなく、印象に基づいたものである。この作品の献呈先であるサンドラ・シャムーは、それぞれの曲を繊細な世界として描き出し、その雰囲気や音色、光の加減を丁寧に表現した。周囲の自然も、鳥のさえずり、風に揺れる葉の音、そしてモンフォール=ラモーリーの教会の鐘の音とともに、この音楽的な瞬間に命を吹き込んだ。この『15の俳句』は今後録音される予定だが、それまでの間、6月13日土曜日にパリ6区役所にて同じ演奏者による公演が予定されている。