Festival de musique de La Chaux-de-Fonds : une brillante première édition
ラ・ショー=ド=フォン音楽祭:華々しい第一回開催

ラ・ショー=ド=フォン音楽祭:華々しい第一回開催
その卓越した音響環境により、数々の伝説的な録音(クラウディオ・アラウのレコードなどが想起される)の舞台となってきたラ・ショー=ド=フォンの音楽ホールは、既存の音楽シーズンとは別に、独自の音楽祭を開催するにふさわしい場所であった。芸術監督ネルソン・ゲルナーの主導により、その構想が実現した。第一回となる今回は、6日間にわたりピアノ、室内楽、合唱、弦楽オーケストラが融合するプログラムが組まれた。この新たな催しの幕開けには、このホールの主であるネルソン・ゲルナーと、彼の同郷の友人であるマルタ・アルゲリッチによるピアノデュオほどふさわしいものはなかった。
頂上での再会
チケットは完売。アルゼンチン出身のアルゲリッチがこの時計産業の街で演奏するのは1970年代以来のことである。開演数分前、会場の熱気は高まっていた。沈黙が長く続き、会場がざわめき始めた頃、照明が落ち、史上最も偉大なピアニストの一人がステージに現れた。彼女は自分のペースで、穏やかに、まるで自宅のリビングにいるかのようにステージを歩いた。鍵盤に手を置くと、そこには変容が訪れた。
モーツァルトの「ピアノソナタ ニ長調(4手)」からは、輝かしい光と、率直かつ繊細な色彩、そして損なわれることのない活気と正確さが溢れ出した。ドビュッシーの「小組曲」は、これほど豊かな音色、寛大なニュアンス、表現の多様性をもって響くことは稀である。ネルソン・ゲルナーとの共鳴は完璧であった。彼らのインスピレーションに満ちた4手によって、この控えめな作品は、未知の広がりを持つ傑作へと変貌を遂げた。
この優美な時間の後、ショスタコーヴィチの短い「2台のピアノのためのコンチェルティーノ」が響いた。これはアルゲリッチが愛する「ピアノ協奏曲第1番」の流れを汲む遊び心のある作品である。ラフマニノフの「交響的舞曲」では、多少のずれはあったものの、荒々しい力強さと不安の間で、中間楽章の幽玄なワルツを頂点として驚きをもたらした。最後は2つの宝石で締めくくられた。カルロス・グアスタヴィーノの「バイレシート」の震えるような哀愁と、ダリウス・ミヨーの「スカラムーシュ」より「ブラジレイラ」の抗いがたいリズムが、熱狂的な聴衆への贈り物となった。これは、二人の卓越した演奏家を輩出した南米への目配せでもあった。
弦楽のトリオとカルテット
翌日は、ドミトリー・シトコヴェツキーが1985年に編曲したバッハの「ゴルトベルク変奏曲(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ版)」が演奏された。巧みで緻密な編曲だが、原曲を平凡にしてしまう傾向があり(ピッツィカートの変奏など一部の驚きを除いて)、ルノー・カピュソン、ポール・ジエンタラ、クシシュトフ・ミハルスキの演奏も、堅実ではあるものの、ところどころに光るインスピレーション(最後から3番目の変奏から滲み出る透明な響きなど)を除けば、深みに欠ける快適すぎる解釈であった。
最後に、山田和樹が「小澤征爾国際アカデミー・スイス」を指揮した。これは故・小澤征爾がスイスで創設したもので、彼にとって弦楽四重奏を学ぶことは「音楽の中心にいること」を意味していた。2004年、小澤はジュリアード弦楽四重奏団の創設者ロバート・マンと共に、毎年ロール城で世界中から集まる24人の若手ソリストを受け入れるプログラムの基礎を築いた。彼らのコンサートは、モーツァルト(KV 421のアンダンテにおけるオスカー・ハッツフェルト、キム・ラウン、アレッサンドラ・ヤン、ミシェル・タンの演奏に注目)、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ドビュッシー(メリエル・ビズリ、リアン・マクゴーワン、アントワーヌ・テヴォズ、マキシム・グリザールによる弓使いが光るアンダンティーノ)といった豊かなパッチワークであった。続いて、1940年にバーゼル室内管弦楽団によって初演されたバルトークの「ディヴェルティメント」が、アカデミーの全参加者によって演奏された。山田の決然とした強烈な指揮のもと、演奏は恐怖に近い緊張感を孕んだ「モルト・アダージョ」で頂点に達した。密度の高いコンサートであり、第一回開催は成功のうちに幕を閉じた。
ラ・ショー=ド=フォン音楽祭、音楽ホール、7月7日〜10日。