Das Jahr des Akkordeons in der nmz (Teil 10): ZUGumZUG
ウーテ・フェルカーやエヴァ・ツェルナーら8人のアコーディオン奏者が即興演奏を探求するプロジェクト「ZUGumZUG」を展開
楽譜に書き記され標準化された音楽のほかに、楽器で「自由に暴れ回る」可能性も当然存在する。それは即興演奏(インプロヴィゼーション)と呼ばれる。そこでは自発的な思考が楽器上で即座に音へと変換される。音楽的・様式的な手段に自ら制限を課すこともできれば、考えうるあらゆる素材を扱うこともできる。しかし現在に至るまで、即興演奏は多くの音楽家育成カリキュラムにいまだ含まれていない。そうした中、8人のアコーディオン奏者が共同で音楽プロジェクトを立ち上げ、即興演奏の可能性に身を投じた。
nmzにおける「アコーディオンの年」(第10回):ZUGumZUG
よく知られた事柄を解説・定着させつつ固定観念を打破し、新たな光を当てて未来のヴィジョンを描き、後進の育成に刺激を与えること。これが各州音楽評議会によるキャンペーン「今年度の楽器」のコンセプトである。アコーディオンに関する本連載でもその側面を取り上げてきたが、今回は現在と未来、そして見過ごされがちな領域である「即興演奏」に焦点を当てる。
即興演奏は本来極めて自然なものである。幼い子どもたちはごく当たり前に楽器を手に取り、音が出るこの物体を試してみる。その瞬間に気に入った音を自然に繰り返し、気に入らないものは避ける。しかし大人が「壊れるかもしれないから」と楽器を取り上げ、「まずは正しく学ばなければならない」と諭すことが多い。その後に待っているのは正しい楽曲や教則本への導入であり、ピアノで言えばツェルニーやハノンといった技術の習得である。その結果、即興演奏は終わりを迎える。
即興演奏が真に定着しているのはジャズと教会音楽のみであり、そこでは意識的かつ計画的に指導が行われている。しかし大学などの他の音楽専攻では、今日でも即興演奏が扱われることはほとんどない。「ZUGumZUG」を立ち上げた8人のプロのアコーディオン奏者たちも、学生時代に即興演奏を学んだ経験はなかった。歴史が浅くレパートリーが限られている楽器にとって、この欠落は一層大きい。彼らは皆、独学で即興演奏を身につけた。
彼らの経歴には、「繊細に震える音から力強くアクセントの効いた響きまで対比的なムードを作り出す」(カタリーナ・ケーニヒ)、「現代音楽、ジャズ、フリー・インプロヴィゼーションの結節点で活動する」(ヴォイタ・ドルネク)、「言葉を超えた音響レベルでの人間間のコミュニケーションの可能性に関心を持つ」(ズザンネ・シュトック)、「新音楽、即興、電子音響空間の間を行き来する」(ジルケ・ランゲ)、「ジャズ、クラシック、フォーク、現代音楽を融合させる即興の探求」(フロリアン・シュタドラー)、「25年以上にわたりこの捉えがたい楽器と様式的に対峙してきた」(アネット・リースナー)といった言葉が並ぶ。
即興演奏は学ぶことができる。カールハインツ・シュトックハウゼンは「聴こえなくなるまでその音を鳴らし続けよ」と語ったとされ、オルガニストのカール=ハインリヒ・ビュクセルは「即興において誤った音など存在しない」と主張した。またオルガニストのペーター・バーレスは、即興演奏を披露した新弟子に対して「まずはその『和声的な指』をへし折らなければならない」と語るのが常だった。エヴァ・ツェルナーとともにZUGumZUGの発起人を務めるウーテ・フェルカーは、現代音楽を豊富に聴くこと、そしてただ「実践する」ことで演奏中に自然と身につくと確信している。
ZUGumZUG
フェルカーとツェルナーは、「今年度の楽器」を契機にアコーディオンが「伝統とアヴァンギャルドの間で再考される焦点」となったことを受けて本プロジェクトを企画した。ドイツ各地の計8人のプロ奏者と5つのアコーディオンオーケストラとともに、この楽器の新たな視点を開拓することを目指している。アコーディオンが現代のクラシック音楽において確固たる地位を築いたのは1980年代以降のことに過ぎない。
同時に、今日のアコーディオンオーケストラは存続の危機に直面している。ZUGumZUGはそこに焦点を当て、その音響装置を再構築しようとしている。「実験的なプロセスを通じ、参加音楽家たちは即興、作曲、パフォーマンスを融合させたプログラムを開発する。既存の作品は変容され、民俗的要素が取り入れられて現代的なコンテクストへと移し替えられる。空間、動き、響きが融合し、没入型のコンサート体験が生まれる」と発起人らは説明する。
3部構成のコンサートの夕べ
コンサートの冒頭を飾るため、ウルグアイおよび南米を代表する現代作曲家の一人であるオスヴァルド・ブドンに対して「シリル・デミアンへの敬意(Salut für Cyrill Demian)」が委嘱された。この作品は、空間内で自由に行動するアコーディオン奏者たち(ソロ奏者たちと、分割されたオーケストラ)のために書かれている。