Vive déception pour la Symphonie n° 3 de Mahler par Vasily Petrenko
ヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるマーラー:交響曲第3番の演奏は期待外れ
ヴァシリー・ペトレンコ指揮によるマーラーの交響曲第3番は、大きな期待外れに終わった。
ロンドンに拠点を置く数あるオーケストラの中でも、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団は、マーラーの交響曲全集を完成させるために、残すところ第2番、第7番、第8番、第9番のみとなっている。今回、単一のコンサートで収録されたこの交響曲第3番の新録音をリリースする必要はあったのだろうか。
本稿執筆時点で、これほど多くのエネルギーを費やして、これほど説得力に欠ける結果しか得られないことに疑問を感じざるを得ない。作品自体が壮大であるためコンサートとしては成立するとしても、膨大な既存のディスコグラフィーと比較すれば、その価値は相対化せざるを得ない。
第1楽章を聴くと、緊張感の欠如、あるいはより正確には、緊張感が細分化されたエピソードの中に希釈されていることがわかる。ヴァシリー・ペトレンコは、自身が作り出そうとする個々の出来事に基づいて指揮をしており、全体的なビジョンを全く持っていないような印象を与える。時に無気力で、時に硬直したその断片的な解釈は、金管楽器、木管楽器、打楽器のアクセントを過剰に強調している。楽章の中盤、主題の再現部では、オーケストラの響きが重く冷ややかで、聴き手を冷淡にさせる。立体感に欠ける録音も、この状況を改善してはいない。
第1楽章において、激しい闘争や巨大な戦いという概念が覆い隠されているのに対し、続くメヌエットはより興味深い。ウィーン風の溢れ出る感情や屈託のなさはかなり鈍いものの、各パートは効果的に反応している。さらに完成度が高いのはスケルツァンドで、乾燥した音響の中で、素朴な舞曲の唐突で皮肉な性格が増幅され、際立っている。管楽器は完璧であり、特にトビー・ストリートが担当したポストホルンの演奏は素晴らしい。
第4楽章は録音レベルが低く、音量を上げるとわずかなノイズが残る。ハンナ・ヒップの顕著なヴィブラートと、ここでも見られる(ユロフスキの傾向に近い)フレーズを切り離す癖が、期待される「母性」の温かい雰囲気を損なっている。この「ミステリオーソ」で我々を迎え入れるのは、神秘性のない、乾燥した風景である。続く楽章の冒頭ではチューブラーベルが鋭く響き、合唱が登場する。フレーズはリズムの硬さによって機械的に打ち込まれ、マーラーが意図した「天使の出現」を想起させることはない。この楽章が持つ素朴で民衆的な側面は表現されていない。
最後に、終楽章は非常に平坦に始まる。約30分間にわたって展開・変容する主題には、感情や振動、推進力がなく、深みのない静止状態が続く。ここでもまた、音響が金管楽器の音を硬化させ、全体の響きを圧倒してしまっている。結論として、真の方向性を欠いたこの解釈は、極めて些末なものに思える。
