Klimawandel in der Hölle – Tobias Kratzers „Macbeth“ von Giuseppe Verdi in Hamburg enttäuscht
トビアス・クラッツァー演出、ハンブルク州立歌劇場『マクベス』は期待外れ
トビアス・クラッツァーによるハンブルクでの『マクベス』演出は、彼がこれまで手掛けた作品に抱かれる期待を裏切るものとなった。
ハンブルク州立歌劇場の総監督であり、最も需要の高い演出家の一人であるトビアス・クラッツァーは、驚きを提供すると予告していた。自身の総監督就任2シーズン目の開幕にあたり、彼は新作初演や発掘作品ではなく、レパートリーの定番であるヴェルディのシェイクスピア・オペラ『マクベス』を選んだ。権力への野望に取り憑かれ、死体を乗り越えて突き進み、最後には自滅する夫婦を描いたこのオペラは、オペラ・スリラーの典型である。ここでは地獄そのものが語り、妻は夫を唆して王殺しを実行させる。これは女性による自己権力化の歪んだ事例であり、人間が耐えうる限界を超えた先にある狂気と復讐が描かれる。
クラッツァーは、ライナー・ゼルマイヤーが美術を担当した今回の演出で確かに驚きを与えた。しかし、それはこの独創的で鋭敏な演出家に期待されるものとは異なる方向性だった。裸の男が木に登っている宣伝ポスターは誤解を招くものであり、感覚を刺激するようなメタファーは本作には欠けている。クラッツァー演出の質は、その美学が常に新しく発明される点にある。贅沢さを抑えることや徹底した還元もその一部かもしれないが、今回はやりすぎである。
舞台は終始、比喩的な暗闇に包まれている。客席を照らす照明の列が、場面転換の際に観客の視界を遮る。舞台装置は暗く、合唱団のための5列の座席が演技スペースを区切る。室内には絨毯、マットレス、椅子、鏡、子供のおもちゃが置かれ、枯れ木と霧が森を表現する。唯一の大きな演出効果は、地獄からの挨拶としての雨である。
合唱団は、夫婦の権力欲の投影として、また現代人の内面を追う室内劇の観察者として機能する。しかし、その演出はしばしば陳腐なものに陥っている。両親が子供と絨毯の上でおもちゃの車で遊ぶ場面などは、抽象的すぎて演出家志望者のセミナーのようである。アリーチェ・メレガリアが指導した合唱団は、その動きと演技において本作の主役として際立っていた。
最も独創的なアイデアは、マクベス夫妻が自身の分身から予言を聞く場面や、マクベスとバンクォーが子供たちと遊び、ダンカン王を迎えるという反事実的なビジョンである。しかし、宴会の場面でバンクォーの亡霊を単なる客として登場させるなど、演出は全体的に空回りしている。難民たちが歌う「祖国を奪われて(Patria oppressa)」の合唱も、全員が床に伏して歌うという演出により、本来の感情的な高まりが損なわれている。マクダフがマクベスの息子を殺害し、バンクォーの息子が新たな王マルコムを威嚇する結末は、権力のメカニズムの連鎖を示唆するが、ミュンヘンの『ワルキューレ』で見せたような驚きは今回なかった。
音楽面は概ね堅実である。カルタル・カラゲディクは堅実なマクベスを演じ、ニーノ・マチャイゼは妻から狂気への移行に努めた。アレクサンドル・ヴィノグラドフは印象的なバンクォーを演じ、ドヴレット・ヌルゲルディエフは家族を想う嘆きを表現した。
