「音楽で食える」を証明する 逆算して生きるピアニストの向かう先 - 朝日新聞GLOBE+
ピアニストの反田恭平が語るこれまでの歩みと将来の学校設立の構想
反田恭平はピアニストという肩書にとどまらず、音楽家4人が所属する音楽事務所の経営や、オーケストラを立ち上げて日本で初めて株式会社化し、ピアノを弾きながら指揮をする「弾き振り」も行っている。5年前、ショパン国際ピアノコンクールで日本人として51年ぶりの第2位となり、「サムライヘア」とともに知られる存在となった。コンクール直後から「将来、日本で学校をつくりたい。そこから逆算して人生を歩んでいて、学校を設立するには、まずオーケストラをつくらないといけない」と語っていた。
反田は札幌で生まれ、転勤に伴い名古屋や東京などを転々とした。3歳で近所の音楽教室に通い始め、小学校時代はサッカーに夢中だったが、12歳の夏に子どものオーケストラ指揮を学ぶ機会で初めて指揮台に立ち、客席とは異なる「音の圧」を全身に受けて指揮者を目指すことを決めた。先生から「まずは一つ楽器を極めなさい」と言われ、指揮者になるステップとしてピアノに打ち込んだ。
中学2年で音楽科進学に反対する父から課された複数のコンクールで全て1位を獲得し、高校3年生のときには日本音楽コンクールで男性として史上最年少(当時)で1位となった。これを機に声がかかり、19歳で国立モスクワ音楽院へ留学した。ロシアでの生活はピアノがぼろぼろで断水が頻発するなど過酷な環境であり、日本との往復で学費を稼ぎながら学ぶ生活を3年半続けた後、ショパンコンクールへの挑戦を決意した。
ポーランドのワルシャワ音楽院に留学した反田は、ショパンの生きた歴史や背景を学びながらプログラムを練り上げた。過去2回の参加者約800人が弾いた延べ約4000回の演奏を分析し、ほとんど弾かれていない曲を取り入れたことで事務局から問い合わせを受けることもあった。予選直後に曲が弾けなくなるプレッシャーにも直面したが、1日休養をとることで乗り越え、2位入賞を果たした。
クラシック業界を変えたいという反田は、新型コロナ感染拡大時にはいち早くオンライン配信を企画した。現在見据える目標は日本に音楽学校をつくり、演奏の実践的なノウハウや世界の舞台を知る経験値を若い世代に伝えることである。「音楽でちゃんと食えるんだと示したい」と語り、自身のピアニストとしての成長についても「ショパンコンクールの時より、いまのほうがずっとうまい」と話している。
