Dirigent der Menschlichkeit: Bruno Walter wird geboren - br-klassik.de
指揮者ブルーノ・ワルターの生誕と音楽的生涯
1876年9月15日、ベルリンにてドイツの指揮者、ピアニスト、作曲家ブルーノ・ワルター・シュレジンガーが誕生した。1911年に彼は正式にシュレジンガーという姓を削除し、ブルーノ・ワルターとして音楽史に名を刻むこととなった。振り返れば、彼は神話的とも言えるほど大きく、人間的にも感銘を与える人物であった。
17歳の神童ピアニストであったブルーノ・ワルターは、ケルン歌劇場で指揮を執り、ハンブルクでグスタフ・マーラーと出会った。マーラーは彼の偉大なアイドルとなり、1901年にはウィーン宮廷歌劇場でマーラーに従事した。その後まもなく国際的なキャリアが始まり、1913年にはミュンヘンのバイエルン王立音楽総監督に9年間就任したが、これはワーグナーの音楽が「ユダヤ人の手にある」と誤解する影響力のある層の不興を買った。
ワルターはニューヨークやロンドンで指揮し、ベルリンの市立歌劇場、1929年からはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を率いたが、ナチスによってその活動は終止符を打たれた。彼はウィーンへ渡り、フィルハーモニー管弦楽団や、自ら共同設立したザルツブルク音楽祭で指揮を執った。1938年、これも終わりを迎えた。アメリカへの亡命後、メトロポリタン歌劇場やニューヨーク・フィルハーモニックなどの主要オーケストラで成功を収めた。80歳近くになった際、大規模なレコードプロジェクトのために「コロンビア交響楽団」というオーケストラが特別に編成された。彼はこの楽団と共に、細部までこだわったリハーサルを経て、数十枚のレコードに芸術的遺産を残した。
これらの録音、そしてそれ以上にリハーサルの記録は、ブルーノ・ワルターが深く人道主義的・人智学的な影響を受けた芸術家であったことをよく伝えている。彼にとって芸術は宗教に近い力を持っていた。だからこそ、指揮台での独裁的な振る舞いとは無縁であり、オーケストラの「親愛なる友人たち」を粘り強く議論によって説得することを好んだ。また、彼がメロス(音楽的美しさ)を重視し、時にそれを批判されたことも、この姿勢で説明がつく。アメリカで彼に贈られた「人間性の指揮者(Conductor of Humanity)」という呼称は、間違いなく彼の本質を突いている。

