Un été avec la musique élisabéthaine, #2 : le luth et la viole
エリザベス朝音楽と過ごす夏、第2回:リュートとヴィオラ

エリザベス朝音楽と過ごす夏、第2回:リュートとヴィオラ
コンソートの主要楽器であるリュートとヴィオラは、独立した独奏楽器でもあります。リュートはヘンリー8世の治世中にハープに取って代わりました。この楽器のための最初の音楽(まだ手書きのもの)が登場したのは1540年代のことです。その人気は高まり続け、8コース(複弦)のリュートは当時「エリザベス朝」とさえ呼ばれ、その普及ぶりを証明しています。女王自身もリュートを演奏し(ヴァージナルや、現在も正体不明の「金と銀の弦」を持つ楽器も演奏しました)、1580年頃のニコラス・ヒリアードによる細密画には、リュートを手にした女王の姿が描かれています。
「エリザベス朝」の後半、タブラチュアで記譜されたリュートのレパートリーは、著しく洗練されました。イギリスで最初に出版された曲集は、1557年にパリで印刷されたアドリアン・ル・ロワの『Instruction』の転写であり、それに続いて2つの論文が出版されました。ウィリアム・バーリーが1596年に出版した『New Booke of Tabliture』は、リュート音楽の文献において重要な一歩となりました。ル・ロワの要約翻訳から始まり、フランシス・カッティングとジョン・ダウランドが主要な寄稿者となったこの書物には、リュートのための7曲、オルファリオンのための14曲、バンドーラのための10曲が収められています。そこには歌は4曲しか含まれておらず、レパートリーは完全に器楽中心となっていました。1603年に出版されたトマス・ロビンソンの『Schoole of Musicke』は、対話形式で書かれ、1台または2台のリュートのための34曲が続き、この傾向を裏付けることになります。
ファンタジア、舞曲、変奏曲、そして声楽曲の編曲がレパートリーの大部分を占めています。ヴィオラについては、特に『グリーンスリーブス』のような人気のある旋律に基づいた変奏曲が書かれ、ディミニュション(ディヴィジョン)の技法が実践されました。これは、ガナッシの『Regola Rubertina』、オルティスの『Trattado de glosas』、ダッラ・カーザの『Il vero modo di diminuir』といった外国の論文に記録されており、1597年のモーリーによる『Plaine and Easie Introduction to Practicall Musicke』に先立つものです。その後、トバイアス・ヒュームが1605年と1607年に出版する2つの曲集において、ヴィオラのレパートリーをリュートのそれと競わせようと試みることになります。