Une Flûte enchantée intergénérationnelle au Festival d’Aix-en-Provence
エクス=アン=プロヴァンス音楽祭における世代を超えた『魔笛』

エクス=アン=プロヴァンスのアルシュヴェシェ劇場にて、モーツァルトの『魔笛』の新制作が上演された。この演出は、戦後の世界を脱神話化しつつ、子供や若者に成長の旅を委ねることで、モーツァルトの傑作を鋭く問い直している。
第78回エクス=アン=プロヴァンス音楽祭におけるこの『魔笛』は、同じくプログラムされているモーツァルトの『レクイエム』と呼応するように、20世紀のレクイエムのような様相を呈している。パミーナとタミーノが直面する試練を通じ、18世紀末のウィーンを舞台にしたこの物語は、啓蒙主義と暗黒勢力の戦いとして描かれてきた。しかし21世紀において、この戦いを再解釈することは、半世紀の消費主義的繁栄によって揺らいだ光と影の秩序を問い直すことに他ならない。
演出家・映像作家のクレマン・コジトールは、物語の各段階を、戦後の西洋世界が抱える過酷な現実と対話させている。1945年以降のアーカイブ映像(ベルリンの廃墟、自然破壊、米国の巨大都市など)が投影され、フリーメイソンの探求である「真実」を提示する。一方で、物語のもう一つの側面として「魔法」が用いられる。パミーナとタミーノの分身として、第1幕では子供、第2幕では若者を登場させ、彼らの無垢さと自発性を強調した。パパゲーノとの協力関係も、対話を通じて人間味を帯びている。
舞台美術のアルバン・オ・ヴァンは、奥行きのある3層の構造を構築した。前舞台では主人公と子供の分身による物語が展開され、中間の紗幕越しに歌手たちの姿が重なり、背景の巨大スクリーンには文明が生成した消費社会のアーカイブ映像が映し出される。しかし、映像が歌の内容と一致しすぎる点は、ジングシュピールのリズムを停滞させる側面もあった。ザラストロは、黒眼鏡と白杖を持つ全体主義的な支配者として描かれ、その精神的指導者としての価値は脱神話化されている。夜の女王もまた、70年代風の怒れる母へと変貌を遂げた。
指揮者のレオナルド・ガルシア=アルコンとクレマン・コジトールのタッグは、ジャンルや美学の融合を試みた。ガルシア=アルコン率いるカペラ・メディテラネアは、バロック音楽の専門家として、モーツァルトの音楽に活気ある加速や力強いダイナミズムをもたらした。管楽器の色彩豊かな響きや、フォルテピアノ、魔法のグロッケンシュピールが効果的に用いられ、バスティアン・フェラリスによるフルートの演奏も物語を導いた。ナミュール室内合唱団(指揮:ティボー・ルナール)は、第2幕で人間的な絆を体現する合唱を披露した。
啓蒙主義の合理的な哲学が揺らぐ一方で、モーツァルトの音楽の魔法は音楽祭で勝利を収めた。出演者には音楽祭アカデミーの6名の若手アーティストが含まれ、ソプラノのイン・ファンやバリトンのショーン・マイケル・プラムらが、透明感のある歌声と自然なモーツァルトの表現を披露した。
