Les deux visages de la Symphonie n° 5 de Chostakovitch
ドミートリイ・ショスタコーヴィチの交響曲第5番が持つ二つの顔

ドミートリイ・ショスタコーヴィチがスターリンの恐怖政治下で作曲した交響曲第5番は、公式な名誉回復と曖昧な本音の間で揺れ動く作品です。
1937年、スターリンによる「大粛清」の最中に作曲された交響曲第5番は、オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』への批判を経て、ショスタコーヴィチが権力の寵愛を取り戻すきっかけとなりました。しかし、状況に強いられた凱歌的な形式の裏側で、音楽は全く別の現実を露呈させています。
本作は、9月10日・11日にヤープ・ヴァン・ズヴェーデン新音楽監督指揮のフランス国立管弦楽団、16日にリュシー・ルゲ指揮のボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団のオープニングコンサートで演奏されます。
【恐怖の中で生まれた作品】
1936年1月、ショスタコーヴィチの人生は一変します。スターリンが彼のオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を観劇した2日後、新聞『プラウダ』に「音楽の代わりに荒唐無稽」という有名な記事が掲載されました。これは権力の意志を直接反映したものと見なされ、彼の音楽は「形式主義的」で大衆から乖離していると断罪されました。これは死の危険を意味し、知人や同僚が次々と逮捕・処刑される中、作曲家は逮捕を恐れ、着衣のまま小さな鞄を傍らに置いて眠る日々を送りました。
この恐ろしい状況下で、彼はリハーサル中だった交響曲第4番を過激すぎるとして取り下げました。その代わりに1937年の夏から秋にかけて作曲されたのが第5番であり、同年11月21日にレニングラードでエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮により初演されました。
【回答として提示された交響曲】
初演は大成功を収め、聴衆は30分以上にわたる喝采を送りました。公式には、この交響曲はショスタコーヴィチが批判を真摯に受け止めた証拠として、「正当な批判に対するソビエト芸術家の創造的な回答」という副題で迎えられました。形式は古典的な4楽章構成で、第4番よりも調性的で親しみやすく、ベートーヴェンの交響曲第5番を模した凱歌的な終楽章は、社会主義リアリズムが求める楽観主義を称えているように見えました。
【求められた曖昧さ】
しかし、この一見した適合性こそが、スターリンの死後、全く異なる解釈を生みました。多くの証言者は、終楽章の凱歌は強制されたものであり、真の同意ではなく、抑圧下での偽りの喜びであると主張しています。特にラルゴ(緩徐楽章)は、金管楽器を用いないエレジー的な強烈さを持ち、粛清に打ちのめされた世代の喪失感を表現していると捉えられています。
【転換点としての作品】
交響曲第5番はショスタコーヴィチのキャリアの決定的な転換点となりました。彼は以後、権力に受け入れられる表層と、理解できる者には伝わる暗いメッセージを組み合わせる「二重言語」を用いるようになります。この作品により、彼は1948年の次の告発まで、再び公認の作曲家としての地位を得ました。
本稿では、1973年にサンクトペテルブルクで、初演者であるエフゲニー・ムラヴィンスキーが同楽団を指揮した歴史的なリハーサル映像を紹介します。
【交響曲第5番の聴きどころ】
1. モデラート:第1楽章は厳格で角張った動きで始まります。弦楽器がカノン風に模倣し合い、悲劇的な調子を決定づけます。ソナタ形式を構成する2つの主題のうち、第1主題は神経質で不安を煽り、第2主題は対照的に叙情的で無垢な柔らかさを持っています。展開部では、第2主題が金管や打楽器によって軍隊的な威嚇する行進曲へと変貌します。
