카푸스틴, Variations Op.41 - 브런치
ニコライ・カプースチンの「Variations Op.41」とピアニスト孫熱音(ソン・ヨルム)の演奏について
都会のクラシック
今この瞬間、背景音楽があればちょうどいいのに!と思うことがよくある。人生がミュージカルのようで、嬉しい時も悲しい時も歌を一つ歌ってやり過ごせたらどれほどいいだろうか。私がテーブルに上がって歌い始めれば、みんなが拍手をして足を踏み鳴らし、最高のアンサンブルを添えてくれるなら。誰かの背景音楽は映画『ラ・ラ・ランド』のOSTかもしれないし、『雨に唄えば』や、とても有名なポップソングかもしれない。「今この瞬間」と言った瞬間に音を付けてしまった、まさにその曲かもしれない。
私は普段、クラシックを背景音楽として使う。力強く家事をするエネルギーが必要な時は行進曲やカプリチオ、公演会場へ向かう道では優雅なワルツ、のんびりとした日曜午前の街を散歩する時もクラシックを聴く。特に都心の真ん中で必ず呼び出される曲がある。まさにカプースチンの「Variations Op.41」だ。高尚な演奏会場よりも、屋外の日差しと摩天楼が似合う音楽。ただ楽しいというよりは、節度あるウィットが感じられる。滑稽で、図々しいとさえ言える。
カプースチンを初めて聴いた瞬間の衝撃を覚えている。YouTubeのアルゴリズムとは、普段聴いている音楽に閉じ込められがちだが、その日に限ってやつは脂っこい声で「おい…今日みたいな日にこの曲はどうだ?」と、そっと一枚のアルバムを差し出した。私はやつを睨みつけ、作曲家を確認した。カプースチン?初めて聞く名前だ。100m先から見てもロシアの名前であることは確かだ。演奏者は孫熱音(ソン・ヨルム)だ。孫熱音とは誰か?どんな音楽でも200%消化してしまう、我々の誇らしいピアニストではないか。ピアノが人間に転生した存在に違いない。生まれて初めて聴く曲を複数のピアニストが演奏するなら、私は喜んで孫熱音のものを選ぶだろう。彼女がどんな音楽でも最適な形で我々に紹介してくれると信じている。
そうしてYouTubeが流してくれた孫熱音のカプースチンを聴いた。一曲聴き、次の曲を聴き、アルバム全体を聴き、今我が家のオーディオの上にはそのアルバムが鎮座している。
私はカプースチンがクラシック音楽だと疑わなかったが、どこかで「サティとカプースチンをクラシックに分類するか」という一節を見た。おや…クラシックでなければ何に分類するつもりだろうか?ではクラシックの範囲はどこまでか?そもそもクラシックの定義は?モーツァルトとベートーヴェンは疑いようもなくクラシックだ。ラフマニノフとマーラーも同様だ。ガーシュウィンまで何とか認めているようだ。ではリゲティとジョン・ケージは?2020年に他界したカプースチンは?生きた時代が基準ではないことは確かだ。
クラシックの辞書的な定義から調べてみよう。Classicは「古典」という意味で、長い間多くの人々に認められ鑑賞される作品を言う。文学はそれほど論争にならない。100年後も韓江(ハン・ガン)が読み継がれていれば、それは古典になったということだから。未来に韓江が古典になると予測しても反論する人はいないだろう。では音楽は?音楽には数多くの形式と演奏方法が存在する。ジブリやディズニーの音楽は非常に多くの人が好きで、これからも愛されるだろうが、クラシックとは分類しない。「大衆音楽」「映画音楽」と分類する。一方で、大衆はよく知らない音楽家をクラシックと呼ぶ。こう見ると、古典の「古」は「古臭い」の「古」ではないかと思う。もちろん冗談だ。いずれにせよ、クラシック音楽は辞書的な意味よりも形式に焦点を当てている。ソナタや交響曲の形式であれば、言うまでもなくクラシック音楽として認められるだろう。つまり、私たちがよく知る「クラシック音楽」に根を張っているなら、その子供としてクラシックの名を継承することになる。ところが形式は絶えず変化している。楽章の数が変わり、協奏の方式が変わり、数多くのバリエーションで衣装を着替え、他のジャンルと融合し(クロスオーバー)、人間ではない機械が出す音を加え(ネオ・クラシック)。後には何がクラシックという名を冠して出てくるか、予想すらできない。
話が遠くへ行きすぎたようだ。いずれにせよ、私の中のカプースチンはクラシックだ。ガーシュウィンと同じ線上に置けばいい。カプースチンの音楽は非常にジャジー(Jazzy)だ。孫熱音は雑誌『客席』のインタビューで、カプースチンのジャズの味を生かすためにジャズの先生を訪ねたと語ったことがある。実はクラシックをしていた人がジャズのリズムを習得するのは容易ではない。いくらピアノの上で飛び回るプロのピアニストであってもだ。むしろクラシックを長くした人ほど難しい。楽譜に閉じ込められず、より自由に。コンサートホールではなく、どこかのジャズバーで公演するように。そうして完成された孫熱音のカプースチンは、まさに五色燦然と輝いている。私は彼女の音楽の上に、私が住む都市を重ねる。一瞬にして90年代初頭風のミュージカル映画になる。いつか都心の真ん中の公演会場で、彼女のカプースチンを聴けることを願っている。
そういえば、ラフマニノフも当時はクラシック扱いすらされていなかったという。ピアノコンクールで優勝を決める曲になるとは、なおさら予想できなかっただろう。誰が知るだろうか?後にはカプースチンで優勝し名を馳せるピアニストが現れるかもしれない。

