À Turin, “Iris” de Mascagni s’épanouit en beauté
トリノ王立歌劇場でマスカーニのオペラ『イリス』が上演、アンドレア・バッティストーニが指揮

トリノで、マスカーニの『イリス』が美しく花開く
日本に情熱を燃やしたのはプッチーニだけではない。『蝶々夫人』の共同台本作家の一人であるルイージ・イッリカは、その5年前にマスカーニへ『イリス』の台本を提供していた。ヴェリズモというよりは象徴主義的なこの寓話は、目の見えない父親と暮らす無垢な少女の物語を描く。人形劇を使って彼女を誘惑した貴族のオオサカによって拉致され、東京の悪名高い吉原へと連れ去られる。彼女は最初そこを楽園だと思い込むが、オオサカの強引な誘惑を受け、売春宿に閉じ込められる。彼女の誘拐を知らない父親から拒絶され呪われた彼女は、深淵に身を投げて自害する。すると太陽が彼女の遺体を、彼女の名を持つ花(アイリス)へと変える。
充実と躍動
この筋書きに基づき、マスカーニは全音音階や日本の伝統楽器を含む多彩な打楽器の控えめな活用に見られるように、異国情緒が繊細に染み込んだ濃密な音楽を創り上げた。指揮者のアンドレア・バッティストーニはこの豊かな素材を力強く練り上げ、恍惚とした充実感と活気ある躍動を交互に繰り出した。冒頭の力強い太陽への賛歌や、同様に荘厳なフィナーレをはじめ大活躍する合唱団と同様に、トリノ王立歌劇場管弦楽団はこの豊かな総譜の美しさを際立たせている。
エリカ・グリマルディは、マスカーニが数多くのアリアを充てた重厚なタイトルロールを我が物とした。なかでも最も有名なアリアは北斎の春画から着想を得たもので、ヒロインは幼少期に寺で見た、若い女性を死に至るまで触手で締め上げる蛸の情景を描写する(「この蛸は快楽…この蛸は死!」)。オペラ全体を通して、このソプラノは模範的な決断力と繊細さを示した。力んだ高音や、音色の多様性においてなお改善の余地がある発声は見られたものの、フレージングは書法の情感あふれるニュアンスに常に寄り添っていた。
このイリスの犠牲となる相手は、たくましいものの繊細さに欠けるテノール(アンジェロ・ヴィッラーリ)であり、それがオオサカという卑劣な誘惑者をより一層憎らしく際立たせた。その企てを助ける女衒のキョウトには、ベテランのロベルト・フロンターリが揺るぎない堅実さを与えている。しかし最も感動的だったのは、盲目の父の短くも決定的な場面を歌ったバスのルカ・ティットットであった。脇役陣も完璧に配役されており、第2幕を口を閉じたカンティレーナで始める芸者役(アルビナ・トンキフ)や、第3幕で心揺さぶる月に向けた祈りを歌う屑拾い役(ディディエ・ピエリ)が特に挙げられる。
歓喜
ダニエレ・メンギーニはこれまでの解釈を覆すような冒険は試みず(ほとんど知られていない作品にとってこれは幸いである)、動きにおいてはやや控えめながらも極めて明快で、何より美的な質が際立つ読み解きを提示した。第1幕では、霧と光が廃墟となった日本(原爆の後か?)の装置を美しく引き立て、その中央には仏像が横たわっている。現実と虚構が混ざり合う劇中劇である人形劇は、あらゆる意味で歓喜(ravissement、拉致の意味も含む)であり、最後は主人公の誘拐で締めくくられる。
第2幕では、芸者たちが閉じ込められている売春宿を現すために舞台床がせり上がる場面など、演出家は効果を巧みに操っている。第3幕の風景はさらに荒涼としており、イリスが地面で苦悶するなか、吊り物からバラバラになった人形が降りてきて、綱渡りのような身振りをする僧侶(ダンサー・振付家のマルコ・カウデーラ)に抱き起こされる。この陰惨な夜の魔力は花の開花によって破られ、その太陽のような色彩が見捨てられた魂の救済を見事に象徴している。
マスカーニ『イリス』。トリノ、王立歌劇場、11月5日。公演は11月18日まで。
