Letters to a young poet - Festivals Malta
ビル・バークレー演出による演劇的室内楽作品『若き詩人への手紙』がヴェルダラ宮殿で上演へ、カルドゥッチ弦楽四重奏団が出演
写真:ヴェルダラ宮殿(撮影:ジュリアン・ヴァッサーロ)
出演者:ビル・バークレー、デヴィッド・ジョセフ、カルドゥッチ弦楽四重奏団。
制作・演出:ビル・バークレー、コンサート・シアター・ワークス
テキスト:ライナー・マリア・リルケ、フランツ・クサーヴァー・カッパス
翻訳:ダミオン・サールズ
音楽:ラヴェル、ドビュッシー
あらすじ
演劇的室内楽プロダクション。詩人を志すフランツ・カッパスへ宛てたライナー・マリア・リルケの有名な手紙は、あらゆる場所の芸術家への呼びかけである。モーリス・ラヴェル唯一の見事な弦楽四重奏曲は、同じ年、同じ都市、そして彼の人生の同じ時期に書かれた。さらに、「若き詩人」フランツ・カッパスの失われた手紙が2020年の画期的な文学的発見によって見つかり、この有名な往復書簡を初めて読むことが可能となった。これらの鏡のような師弟関係を締めくくるのは、リルケが若き詩人を反映するようにラヴェルを反映するドビュッシーの唯一の弦楽四重奏曲である。コンサート・シアターという画期的な新作において、ビル・バークレーはこの友情を弦楽四重奏とプロジェクションを用いた完全な舞台化により劇的に描き出し、真に生きるために人生が私たちに何を求めているかを提示する。
ともに1875年生まれのラヴェルとリルケは、モダニズム思想がパリを席巻する中、28歳のときにパリの同じ時期、わずか数街区離れた場所でそれぞれの代表作を執筆した。これらの対をなす傑作は時空を超えて互いを反映し、ロマン主義の未来を予見している。ドビュッシーはそのわずか10年前、同じく人生の同じ段階(30歳)で唯一の弦楽四重奏曲を作曲した。同一の形式で四重奏曲を構成したラヴェルに対する彼の強い影響は、これらの作品を続けて聴くことで明らかとなる。彼らの音楽的対話は、詩人たちの師弟関係を自然に映し出している。ドビュッシーはラヴェルより10歳年上であり、カッパスはリルケより10歳年下である。これら4つの精神による思索は、ベル・エポック期のパリ、すなわちロマン主義とモダニズムの間の熱狂的な支点を映し出す万華鏡である。
会場(大統領ウェブサイトより改編)
現在マルタ大統領の夏の離宮となっているヴェルダラ宮殿は、1586年に大包領主ユーグ・ルーベン・ド・ヴェルダルの田園の隠れ家として建てられた。マルタの建築家ジェロラモ・カッサールによって設計され、当時のフランス城郭建築の影響を受けた独特の正方形の平面図と4つの角の塔が、宮殿に堂々とした要塞のような性格を与えている。18世紀には大包領主アントニオ・マヌエル・デ・ヴィリェナのもとで3階部分と周囲の付属施設が増築された。宮殿は重要な芸術的遺産によって特に際立っている。その最大の宝は、ヴェルダルのトスカーナ宮廷画家フィリッポ・パラディーニ(1544–1614)によって描かれた、樽型ヴォールト天井のメインホールの装飾である。ホールの両端にはヴェルダル大包領主の生涯のエピソードが描かれ、天井の各区画を寓意的な人物像が飾り、大包領主とその功績を称える空間となっている。当時の記録でも、宮殿の内装は絹や貴重な品々で贅沢に設えられていたと伝えられている。メインホールの入り口上部には「cedant curae loco(ここでは憂いを捨て去れ)」という碑文が刻まれている。もう一つの芸術的ハイライトは聖大アントニウスに捧げられた礼拝堂であり、大包領主ニコラス・コトネルの手厚い保護を受けた。その主祭壇画はマルタで活躍したバロックの代表的画家マッティア・プレティによるもので、聖ヨハネ副大聖堂の天井画を制作していた1660年代に描かれた。衰退と修復の時期を経て、ヴェルダラは1974年に公式な大統領離宮となった。
プログラム
クロード・ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト短調 作品10 (L.91)
モーリス・ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調 M.35
プログラム・ノート
150年前の1875年に生まれたライナー・マリア・リルケとモーリス・ラヴェルは、ロマン主義とモダニズムの世界を橋渡しした。万国博覧会や型破りな芸術家たちの拠点、グローバリズムの始まりに沸くベル・エポック期のパリで、この2人の先駆者は1903年の全く同じ月に、わずか数マイル離れた場所で傑作に着手した。ラヴェルの唯一の弦楽四重奏曲と、リルケと志望詩人フランツ・カッパスとの文通は、真の偉大さの証である。驚くべきことに、彼らは当時ともにわずか28歳であった。
パンデミックの最中に知人からリルケの本を手渡されたことをきっかけに、私はこのプロジェクトを立ち上げた。彼女は積まれた本の中から私にそれを譲ろうとし、私がすでに持っていると断ると表紙を見るよう言った。それは若き詩人からの手紙を含む新版だった。発見の知らせを聞いていなかった私は驚き、すぐに読んだ。執筆から約115年を経た2020年、シュトゥットガルト近郊のリルケ・アーカイブでフランツ・カッパスからリルケへの手紙が発見された。自身で1万4000通もの手紙を書いたリルケは、健康と平穏を求めてヨーロッパ中を旅しながら、カッパスからの手紙を大切に保管していたのである。この発見はコロナ禍のニュースに埋もれてしまっていた。
往復書簡全体を初めて読んだとき、リルケの助言は対話となった。私はこの素材を何らかの形で脚色しなければならないと感じた。リルケの手紙を愛する人にとって、それらを機能させる重要な要素は「空間(余白)」である。演奏においては、彼の知恵が体に染み渡る時間を与えるために、何かがこの空間の代わりを務めなければならない。リルケを知ることは彼の言葉を心に刻むことであり、同様の情熱はラヴェルにも向けられる。
