MADRID / Los ‘Concerti Grossi op. 3’ de Haendel por Minkowski o la importancia del contexto
マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルがマドリードでヘンデルの『合奏協奏曲 Op. 3』全曲を演奏
マドリード/ミンコフスキによるヘンデルの『合奏協奏曲 Op. 3』、あるいはコンテクストの重要性
マドリード、国立音楽堂。2026年10月4日(※原文ママ)。ウニベルソ・バロッコ。レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル。マルク・ミンコフスキ指揮。ヘンデル:合奏協奏曲 Op. 3。
ヘンデルの『合奏協奏曲 Op. 3』は、同作曲家のOp. 6の完成度には及ばないものの、このハレ出身の作曲家の本質をよく抽出した作品群である。本作の出版は他の曲集と同様、1734年に財政難に陥っていたロンドンの出版者ジョン・ウォルシュが、当時イギリス諸島でコレッリの『合奏協奏曲 Op. 6』が巻き起こした大流行にあやかって利益を得ようとしたことに起因する。この作品に「合奏協奏曲(コンチェルティ・グロッシ)」の名が冠されたのは、独奏群と総奏群を分けるコレッリ風の形式に従っているからではなく、聴衆を惹きつけるための商業戦略によるものだった。解説執筆者パブロ・J・バヨンが指摘するように、全6曲中このジャンルに該当するのは第5番のみである。それ以外は3楽章のヴェネツィア風協奏曲から、定まった構成を持たないフランス風序曲、舞曲、フーガ風の楽章を繋ぎ合わせたパッチワーク的な構成に至るまで多様である。この雑多さは、ウォルシュがヘンデルの楽曲から勝手に素材を拾い集め、本来意図されていなかった形で作品を仕立て上げたことに理由がある。1710年代のロンドン到着初期の作品、初期の英語オペラ、カノンズの初代シャンドス公爵への奉公時代の作品からオーケストラ間奏曲、『ブロッケス受難曲』、『シャンドス・アンセム』、『シャンドス・テ・デウム』の断片などが無断借用された。著作権の概念がない時代であり、ヘンデルはこの曲集の成立にほとんど関与していない。
出所が疑わしい曲集ではあるものの、録音には恵まれており、ジ・イングリッシュ・コンサート、エンシェント室内管弦楽団、バーゼル室内管弦楽団、近年ではベルリン古楽アカデミーやアカデミア・ビザンティーナなどによる優れた録音が存在する。しかし実演では単独曲が取り上げられる程度で、ミンコフスキ自身が冒頭で述べたように全曲を通して聴く機会は極めて稀である。前シーズン6月にミンコフスキが健康上の理由でマドリード公演をキャンセルしていたこともあり、今回の「ウニベルソ・バロッコ」開幕公演への期待は高まっていた。
レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルは手厚い編成で登場したが、1994年のエラート初期録音時よりは縮小されていた。当時の録音でもコンサートマスターを務めたアリス・ピエロが今回も同じ役割を果たした。一部の楽章で指定されているフラウト・トラヴェルソは編成から欠けていた。
ミンコフスキは長年素晴らしい音楽体験をもたらしてきた。筆者の古楽やヘンデル、フランス・バロックへの愛好は彼と創設40年以上の同団に深く結びついている。それだけに、楽団と指揮者の衰退を目の当たりにするのは悲しい。閃きや良好なアンサンブルの瞬間もあり楽員の技量には疑いがないものの、全体として疲弊感が漂った。ミンコフスキは変わらずエネルギッシュな身振りを演じているが、それが響きとしての活力に結びついていない。かつてのような最高の瞬間は過去のものとなってしまったかのようである。
現在のミンコフスキはスペクタクル性を過度に重視しており、演奏は表層的で、細部を突き詰める姿勢や一貫した音楽的構築への厳しさが欠けていた。強弱の切り替えの意図が判然とせず、フーガや総奏リトルネッロで混乱する箇所も見られた。第6番でのルイーズ・アカボのオルガンやファゴットなど独奏陣は極めて良好であり、問題はそこにはなかった。オーケストラに不足していたのは緊張感であり、各曲の前にミンコフスキが行ったトークが場の空気を弛緩させすぎたことが逆効果となった。
過度な親しみやすさは、演奏会を一種の教育的リハーサルのようにしてしまった。解説自体は称賛に値するが、適切な演奏会の雰囲気を壊さないよう配慮すべきである。安易な冗談や崩れた言葉遣いは、国立音楽堂でのヘンデル演奏にはふさわしくない。また、ミンコフスキは拍手が鳴り止まないうちに曲の開始を指示し、出だしの不揃いさを覆い隠そうとしているかのようであった。オーケストラの居心地の悪さは明白であった。

