山形交響楽団 ミュージック・パートナーに就任ヴァイオリニスト、指揮者として築く密な関係 - ぶらあぼONLINE | クラシック音楽情報ポータル
ヴァイオリニストのジュリアン・ラクリンが山形交響楽団のミュージック・パートナーに就任
2026年から3年間の任期で、山形交響楽団のミュージック・パートナーに就任したジュリアン・ラクリン。2024年の定期公演でただ一度共演した両者は、たちまち相思相愛となり、継続的な関係を築くべく今回のポスト就任へと至った。ラクリンも最初のリハーサルから「特別な結びつき」を感じたと振り返る。また、山響のソロ・コンサートマスターを務める髙橋和貴の存在も大きい。髙橋はラクリンがウィーンで最初に教えた弟子であり、かつての師弟が今度は同僚として向き合うことも、この関係を内側から支えている。
就任後初の本格的な共同作業となった7月の定期公演では、初日のゲネプロから同日の本番、2日目へと、同じプログラムながら、その響きは回を追うごとに明らかに変貌していった。前半ではメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」を弾き振りし、リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」を指揮。後半ではブラームス「交響曲第2番」に臨んだ。いずれも、ウィーンで音楽的土台を築いたラクリンが長く親しんできた作品である。
ゲネプロでは演奏を止めてやり直す場面はほとんどなく、互いの意思疎通を慎重に確かめているようだった。本番ではゲネプロから一転して解釈の幅が大きく広がり、初日の本番を経た翌日は、奏者との応酬がさらに深まった。その密な呼吸は、二度目の共演とは思えないものだった。
終演後、ラクリンは「一つのことをリハーサルしたら、本番ではそれを忘れなければなりません。リハーサルをする目的は、本番で自由になるためです。地面との接触を失わずに、飛べるようにならなくてはいけないのです」と語った。十分な準備があるからこそ、本番ではそこから離れ、眼前の奏者や聴衆、響きに反応できる。その変貌は、ラクリンが意図した音楽づくりそのものだった。
その背景には、彼が師たちから受け継いできた教えが息づいている。最初に指揮の手ほどきをしたのは母ソフィーであり、その後、師となったマリス・ヤンソンスの徹底した準備、ダニエレ・ガッティの音楽への専心、そして若き日に立ち会ったカルロス・クライバーによるブラームス第2番のリハーサルから本番までの経験が、彼の音楽的土台となっている。
堅固な地面を足場とする飛翔という考えは、7月30日に行われた山響楽団員とのアンサンブル公演(旧米沢高等工業学校本館)にも通底している。ラクリンは室内楽では指揮者という立場を離れ、対等な一人の奏者として加わると語り、共に音楽づくりをすることで「音楽的に近づき、よい化学反応が生まれれば、結果は必ずよくなる」と強調した。この化学反応は、今後のシンフォニックな共同作業にも還元されるという。指揮者、独奏者、室内楽奏者という異なる立場を往還しながら時間を重ね、固有の音楽的言語を育てていくことにこそ、「ミュージック・パートナー」という肩書きの意味がある。
