錦織健テノール・リサイタル 歌だけで生きて40年 オペラ、日本歌曲からクィーンまで(産経新聞) - Yahoo!ニュース
錦織健テノール・リサイタル 歌だけで生きて40年 オペラ、日本歌曲からクィーンまで
錦織健テノール・リサイタル 歌だけで生きて40年 オペラ、日本歌曲からクィーンまで
「新人賞をもらってどうやって歌手を続けていくかを考えました。将来は未知数でした。私は大学教授や先生のタイプではありません。結論から言えばコンサート収入で生きていくしかなかったのです」
■「お客さまがどうしたら楽しめるか」
というのも、日本でクラシックの歌手が純粋に歌うことだけで生活していくことは難しい。ドイツのように都市ごとに劇場があり、所属歌手になる制度はない。錦織が大学を卒業したころにはなく、1997年に開場した新国立劇場も専属は合唱のみ。ソリストは外国人などを招聘する。東京二期会や藤原歌劇団など民間のオペラ団体はあるが、公演数は少なく、出演料だけで食べるのは難しい。だから固定給がある大学で教えつつ歌手をするなどの手しかない。
「当時は立川清登さんしかモデルがなかった」と錦織は話す。1985年に亡くなった立川はオペラで活躍する一方、ミュージカルでも歌い、テレビ出演も多かった。NHKの「みんなのうた」で歌った「大きな古時計」。アメリカのポピュラーソングを訳詞した曲だが、立川の歌声とともに人口に膾炙した。音楽番組ばかりでなくワイドショーの司会もするなど大衆とともにあった歌手だった。
「自分の考えでマーケットリサーチをしました。一般のお客さまがどうしたら楽しめるかを考えました。あがき、背水の陣でした。レパートリーをどうするのかが最初の難関でした。ミュージカルは同じ演出なのに何度も上演され、お客さまが来てくださるのは驚くべきことです。これはドラマを見に来ているのです。こういう考えで別な形のクラシックのコンサートができないかと思いました。日本でもオペラは原語主義になっていますが、かつては日本語に翻訳して上演していました。お客さまは日本の歌を喜んでくれるのです」
■人生が分かるリサイタル
こうして聴衆に楽しんでもらう要素がたっぷりのさまざまな音楽が入る錦織のコンサートスタイルが確立されていった。