Un été avec Nikolaus Harnoncourt, #1 : Authenticité
ニコラウス・アーノンクールとの夏、第1回:真正性(オーセンティシティ)

ニコラウス・アーノンクールとの夏、第1回:真正性(オーセンティシティ)
「適合性」という意味において、この言葉自体が誤りである。真正なのは演奏ではなく、アーティストである。楽譜は真正であり得るが、演奏家はあくまでその楽譜に対する自身の個人的なアプローチにおいてのみ真正であり得る。「パーセルやラヴェルをこのように演奏することで、私は真正である」と言うことはできる。しかし、「このパーセルやラヴェルの演奏方法は真正である」と断言することは詐欺に近い。また、「authentic(真正)」という言葉を「historically informed(歴史的情報に基づいた)」という言葉に置き換える新しいアングロサクソン的な用法については、何という馬鹿げたことだろうか。私と同じように演奏しない者、私と同じ版を使わない者、あるいは別の流派に属する者は「historically uninformed(歴史的情報に基づかない)」ということになるのか?それを判断する立場に誰がいるというのか?
私は常に意見を変えてきた。生きている限り、私は意見を変えるような発見をし続けるだろう。私はこれまで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団と共に、モーツァルトの最後の交響曲を何度も指揮してきた。しかし、クリストフ・ヴォルフやペーター・ギュルケといった音楽学者の話を聞いた後、それまで私の視野に入っていなかった事実が明らかになった。翌日には、もう以前と同じように指揮することはできなくなっていた。
そもそも、何かが「正確」かどうかを知ることにそれほど重要な意味があるのだろうか?私はそうは思わない。本当に重要なのは、決して正確にはなれないという自覚を持つことだけだ。音は本を読むことではなく、聴くことによって学ぶものだ。そして定義上、バロック時代の音の記録は存在しないため……「真正性」に関して言えば、我々が全面的に間違っていないという証拠はどこにもない。
この「ニコラウス・アーノンクールとの夏」のすべてのテキストは、1985年から2013年の間にアーティストが『ディアパソン』誌に対して行ったインタビューから引用されている。
