Crítica: ¡“La Ceci”(lia) Bartoli nunca será ‘Il viaggio a Reims’! Cara y cruz de un estreno salzburgués
批評:チェチーリア・バルトリは決して『ランスへの旅』にはなれない!ザルツブルクでの初演の明暗

『ランスへの旅』。1幕のドラマ・ジョコーソ。ルイージ・バロッキ台本、ジョアキーノ・ロッシーニ作曲。出演:チェチーリア・バルトリ(コリンナ)、マリーナ・ヴィオッティ(メリベア侯爵夫人)、メリッサ・プティ(フォルルヴィル伯爵夫人)、タラ・エラウト(コルテーゼ夫人)、エドガルド・ロチャ(ベルフィオーレ騎士)、ドミトリー・コルチャック(リーベンスコフ伯爵)、イルデブランド・ダルカンジェロ(シドニー卿)、フロリアン・センペイ(ドン・プロフォンド)、ミシャ・キリア(トロンボノク男爵)、ペーター・ケルナー(ドン・アルバロ)、ジョヴァンニ・ロメオ(ドン・プルデンツィオ)、ヘレナ・ラスカー(マッダレーナ)他。演出:バリー・コスキー。舞台美術:ルーファス・ディドヴィズス。衣装:ヴィクトリア・ベール。照明:フランク・エヴァン。ドラマトゥルギー:クリスチャン・アルセニ。モンテカルロ歌劇場合唱団。レ・ミュジシャン・デュ・プランス・モナコ。音楽監督:ジャンルカ・カプアーノ。会場:ザルツブルク、ハウス・モーツァルト。観客数:1,580人(満席)。日付:2026年8月5日。
「チェチ」ことチェチーリア・バルトリは、ロッシーニの喜劇的な作品の中でも『ル・コント・オリ』を除けばほぼ唯一の模倣作である『ランスへの旅』というアンサンブル・オペラの主役を演じている。ザルツブルク音楽祭でのバリー・コスキー演出による本作の初演は、オーストラリア人演出家の舞台の天才性と、ローマ出身のスター歌手との間の明暗が分かれるものとなった。
この改変は、終幕において「チェチ」がジョセフィン・ベーカーのような姿で現れ、本来のフランス王シャルル10世に代わって登場する場面で頂点に達する。全員で歌うはずの「シャルル10世、フランス王」という賛歌の代わりに、彼女と13人の主役たちが「チェチ」という曲を歌うのである。
コリンナが招待客に「主題を選んで聴いてほしい」と提案する場面があるが、ここでは台本や全員の決定は無視され、個人のエゴが優先される。これは、本来中立で思慮深いキャラクターであるはずのコリンナを歪め、作品の核心を損なうものである。現代のオペラ演出における天才の一人であるコスキーの仕事としては異例である。
ザルツブルクでの上演を見る限り、コスキーは、モーツァルトの街でイースター音楽祭の監督も務めるバルトリの気まぐれに屈したようだ。これは2022年に同じくザルツブルクで、ロランド・ヴィラゾン演出の『セビリアの理髪師』においてバルトリがロジーナ役を歪めた時と同じ状況である。
幸いなことに、コスキーはキャリアの終盤に演出家に転身したメキシコの歌手とは異なる。それゆえ、彼がこのような低俗なゲームに関与したことは驚きである。いずれにせよ、彼の天才性は作品全体に溢れており、ルーファス・ディドヴィズスの折衷的な舞台美術や、ヴィクトリア・ベールの滑稽な衣装は、本作の「ドラマ・ジョコーソ」という性格に合致している。フォルルヴィル伯爵夫人の騒々しい帽子など、キャラクターの造形にはユーモアと天才的なバフーン(道化)の精神が宿っている。
「黄金の百合」という温泉のロビーから、12の白い扉が並ぶ部屋の通路まで、コスキーの緻密な演出が光る。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンなどの音楽的引用も散りばめられている。コスキーは自身の演出を楽しみ、物語をさらに過剰に盛り上げている。一部にはやりすぎとの声もあるが、終演後には「チェチ」の歌の直後に聞こえた控えめなブーイングを上回る拍手が送られた。
歌唱面では、バルトリは60歳を迎え、声の衰えを長年の経験と舞台上のテクニックで補っている。ソプラノのテッシトゥーラ(音域)は彼女本来のものではない。しかし、本作は3人のソプラノ、1人のコントラルト、2人のテノール、4人のバリトン、4人のバスという豪華な配役である。
特筆すべきは、メリッサ・プティのフォルルヴィル伯爵夫人、タラ・エラウトのコルテーゼ夫人、そしてマリーナ・ヴィオッティのメリベア侯爵夫人である。男性陣では、エドガルド・ロチャとドミトリー・コルチャックのテノールが輝いた。イルデブランド・ダルカンジェロは、カリスマ性を持ってシドニー卿を演じた。フロリアン・センペイはドン・プロフォンド役を演じた。
