À la philharmonie, Daniele Gatti sublime la Symphonie no 10 de Mahler
ダニエレ・ガッティ指揮ドレスデン・シュターツカペレがパリのフィルハーモニーでマーラーの交響曲第10番を演奏

フィルハーモニーにて、ダニエレ・ガッティがマーラーの交響曲第10番を崇高に昇華させる
伝統あるドレスデン・シュターツカペレといえば、ダニエレ・ガッティの前任者であるクリスティアン・ティーレマンが培ったワーグナー、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウスといったレパートリーとの結びつきが一般的であり、グスタフ・マーラー、それも交響曲第10番(デリック・クック版)となればなおさらである。しかし、大勢詰めかけたパリの聴衆は、マエストロによる卓越した演奏をしっかりと受け止めた。作曲者自身の手による唯一の楽章である冒頭の広大なアンダンテ=アダージョから、すでに基調は定まっていた。ヴィオラの無伴奏による手ごわい冒頭(ガッティはカーテンコールでヴィオラ・セクション全体を喝采させた)や、真のアダージョとして取られた楽章の立ち上がり全体が、音程の正確さと均質性に満ちたドレスデンのオーケストラの豪奢な弦楽器の質を示していた。唯一、頂点で生じる凄まじい不協和音だけは、フィナーレでも見られることになる金管の荒々しいアタックによって損なわれていた。
黄泉の国から
しかし、交響曲第7番のスケルツォや第9番のレントラーを想起させる第1スケルツォは、曖昧さと見せかけの無頓着さが見事であり、作品の軸となる不穏で極めて皮肉な中央の短い(ちょうど4分ほどの)「プルガトリオ」も同様であった。フィナーレを開始する大太鼓の耳を聾するような一撃に突き当たる前に徐々に崩壊していく難渋な第2スケルツォは、ダニエレ・ガッティの正確さにもかかわらず、バランスを取るのにより苦労していた。しかし、そこでも金管(ソロ・トランペット)のいくつかの不完全さはあったものの、アダージョとプルガトリオの回想、魔法のようなフルート・ソロ、そして見事としか言いようのない弦楽器による光り輝く結尾の間で、マエストロのヴィジョンを完成させたのはフィナーレの成功であった。シュターツカペレは、1年前にキリル・ペトレンコ指揮による同じマーラーの第9番で聴かれた恐るべきベルリンの精緻なマシンの極めて優れた技術的完璧さには及ばないものの、この黄泉の国の作品においてダニエレ・ガッティが呼び起こした感動は、この夜の聴衆の心に長く残り続けるだろう。
ドレスデン・シュターツカペレ、ダニエレ・ガッティによるマーラーの交響曲第10番(デリック・クック版)。パリ、フィルハーモニー、グランド・サール・ピエール・ブーレーズ、2026年11月2日。
