エレーヌ・ド・モンジェルーに魅せられて 生涯・作品編/小林緑
エレーヌ・ド・モンジェルーに魅せられて 生涯・作品編/小林緑

音楽評論家・谷戸基岩氏と音楽学者・小林緑氏によるリレー連載第6回は、フランス革命期に活躍した作曲家エレーヌ・ド・モンジェルー(1764~1836)を特集する。エレーヌ・ド・ネルヴォは1764年3月11日、リヨンの法服貴族の家系に生まれた。優れた音楽性と即興の技巧でヴィオッティら著名な音楽家に評価されたが、貴族の身分ゆえ公開演奏は行わず、私邸サロンを中心に活動した。1784年にモンジェルー侯爵と結婚。
1793年、革命政府の排斥を恐れ国外脱出を試みるも夫は牢獄死。パリ帰還後に逮捕されるが、人民救済委員会の前で《ラ・マルセイエーズ》を即興演奏し免罪された。1795年、パリ国立音楽院のピアノ科正教授に任命されるが、3年後に辞職。その理由は健康問題や育児、自身の音楽性と教育方針の不一致などが推測されている。1842年にルイーズ・ファランクが教授に就任するまで、音楽院で女性教授は彼女のみであった。
彼女の代表作『ピアノ教育大全』は、1812年頃に出版された全3巻、711ページに及ぶ大著である。1788年頃に着手され、練習曲114曲のほかフーガ、変奏曲、幻想曲などが含まれる。バロックからロマン派をつなぐ歴史的地点に位置する作品だが、同時期に活躍したヨハン・バプティスト・クラーマーの練習曲集との関連が指摘されながら、クラーマー側の記述にはエレーヌへの言及がないことが問題視されている。
私生活では1797年にシャルル・アントワーヌ・イアサント・イスと再婚(1803年離婚)、1820年にエドゥアール・デュノ・ド・シャルナージュと三度目の結婚をするも死別。1834年にフィレンツェへ移住し、1836年に同地で死去した。息子エメ・シャルル・イス・ド・ラ・サルは美術収集家として知られ、コレクションはルーヴル美術館に遺贈された。エレーヌの演奏はトレモン男爵ら同時代人から高く評価されていた。

