Décès du compositeur André Bon
作曲家のアンドレ・ボンが長い闘病の末に80歳で逝去
作曲家のアンドレ・ボンが、長い闘病の末、9月20日(日)に80歳で逝去した。
1946年8月17日にリールで生まれたアンドレ・ボンは、ナンシーで音楽教育適性証書(CA)の準備クラスで音楽家としての教育を開始し、その後パリ国立高等音楽院(CNSMD)に入学してオリヴィエ・メシアン(作曲)とジャン=ピエール・ゲゼック(楽曲分析)のクラスで学んだ。また、GRM(音楽研究グループ)のスタジオでピエール・シェフェールのもとで研修も行っている。1974年から1976年までヴィラ・メディチの寄宿生となった。それ以降、アーティスト・イン・レジデンス(特に1999年のヴィラ九条山など)や、リリー・ブーランジェ賞、SACEM(フランス著作権協会)、芸術アカデミーからの複数の栄誉に彩られた作曲家としてのキャリアが始まった。彼の作品カタログには約40曲の作品が並んでいる。旋律の次元を放棄することなく、彼が特にその形式や音響テクスチュアの構築を好んだ管弦楽曲(『コンヴェルジャンス』、『オード』、『オード II』、『エメルジャンス』、そして2000年代にラジオ・フランスで初演された『フレスク』)がある。
この2つの要求が最も自然に結びつく場となったのは劇場かもしれない。アンドレ・ボンは、声、身振り、空間、色彩がごく自然に交わる舞台のための作品を数多く書いた。最初のオペラ『アダン・エ・エヴ(アダムとイヴ)』は1971年に遡る。続いて、ドミニク・フェルナンデスの台本による『ペルセポネの略奪』(1987年、ナンシー)でSACD(劇作家作曲家協会)の新人賞を受賞した。また、アルテ(Arte)の委嘱を受け1993年に同局のテレビで放映された『本を持つ少女』は、「スクリーンのための」オペラであり、映画監督ジャン=ルイ・コメリのカメラの前で演出され、新たなジャンルを切り拓いたとされる。初演時に芸術アカデミーのサミュエル・ルソー賞を受けたほか、ミュンヘンの国際演劇協会のヴォルフ・エーベルマン賞も受賞した。この映像オペラは、2023年2月に劇場「ランデヴー・ダイユール」で再演され、大きな成功を収めた。
引く手あまたの教育者でもあったアンドレ・ボンは、エクス=アン=プロヴァンス大学や、ルーアンおよびオバーニュのCEFEDEM(教員養成センター、現在は廃止)で20世紀の音楽学を教えた。
繊細な音楽家であり、控えめで文学に親しみ、長年にわたり培われた技術を備えていたアンドレ・ボンは、いかなる流派にもとらわれることのない好奇心を持ち、半世紀に及ぶ創作活動を歩んだ。それは孤立のリスクを伴う特異な自由を保証する独立性であったが、彼の創作活動の評価や影響力を妨げることはなかった。(MT)
