Cioran, propos du philosophe sur la musique
哲学者エミール・シオランの生涯と、バッハやモーツァルトなど音楽に関する思索
シオラン(Emil Michel Cioran、1911–1995)として知られる、フランス語で執筆したルーマニア出身の哲学者・作家の著作は、懐疑主義、皮肉、虚無主義を帯びたメランコリーの表現を数多くの作品の中で絶え間なく打ち明けてきた。彼はまた、音楽に関する記憶すべき言説も残している。
彼は1911年4月8日、カルパティア山脈にあるルーマニアの小さな村ラシナリに生まれた。哲学の学業を始め、ブカレスト大学、フンボルト大学(ベルリン)、パリ大学に通い、最初はルーマニア語で、1949年以降はフランス語で執筆した。彼の著作活動は哲学的テクスト、アフォリズム、日記、翻訳で構成されている。彼は夥しい読書と思索から影響を受けた。その歩みはメランコリーへの顕著な傾向と神経衰弱の気質を強めた。成長の様々な段階が彼の中に世界に対する悲観的な視座を形成し、彼は自殺を考えた。22歳で高く注目された処女作『絶望の極限で』を出版した。その後まもなく哲学を教え、自国の政治・社会の動乱に関与してファシズムへの共感を表明した。第3作『涙と聖者』では反ユダヤ主義的な考えを表明した。青年期にはアドルフ・ヒトラーを好意的に評価する言葉も残した。彼のアフォリズムはときに主張された周縁性、自己への閉じこもり、内面の探求を擁護し、近代性の欠陥を指摘し、「人間がなすことすべては最終的に自らに仇をなす」と頻繁に主張している。
1937年秋、彼はフランスに永住し、極右運動への関心を隠さなかった。占領下でも論文の準備を続け、自転車でフランスを巡った。一時期ヴィシー政権で文化アタッシェを務めたが解雇され、物質的な困窮を経験した。彼は生涯の伴侶となるシモーヌ・ブエと出会った。戦後、ブルガリア(※原文ママ)では共産主義政権が成立し、彼の著作は禁止された。彼は1995年に亡くなるまでフランスである種の貧困のうちに暮らした。彼はフランス語でのみ書くようになった。その創作は、ある側面で17世紀および18世紀のフランス・モラリストの伝統に近づいている。
彼は1949年に『崩壊概論』を執筆した。パリで彼は、対独協力者であったリュシアン・ルバテを含む多くの作家や思想家と出会った。一定の禁欲主義とユーモアに満ちたアフォリズム集を出版し続けた。シオランは「私は成功を含め、あらゆる形の没落を経験した」と書くことになる。彼は皮肉や悲観主義を操り、幻滅を表現し、やがて作家として一定の名声を得た。数年後の1995年6月20日、アルツハイマー病のためパリで死去した。モンパルナス墓地に埋葬されている。彼の特筆すべき代表作として、『絶望の極限で』(1933)、『思想の黄昏』(1940)、『崩壊概論』(1949)、『苦渋の三段論法』(1952)、『実存の誘惑』(1956)、『生誕の災厄』(1973)、『四つ裂き』(1978)、『告白と破門』(1987)、そして『歴史とユートピア』(1960)や『悪しき造物主』(1969)が挙げられる。
独立した反骨の作家・人物であったシオランの思想は、ニーチェ的な「哲学者・作家」の系譜に連なるが、彼らの体系的精神や、彼が無益な思弁とみなすものを採用することはない。彼は肉体的資質や多様な感情を含めた自己の全人格から理論を構築し、絶えず抵抗する現実を捉えようとする「有機的思考者」を自称した。彼自身はモラリストたちにより共鳴を覚えており、その多くと同様にアフォリズムに魅了された。その文体は、辛辣さを帯びユーモアに富み、巧みに逆説を操り言い逃れを避ける簡潔な文章を好むものだった。存在の決定論が彼の関心を惹きつけ、それに意味を与えようとする闘いを休むことなく煽った。彼は人間の思考の衰退と悲劇的な退廃を言明し告発した。
深い親和性を抱いていた音楽に関する彼のアフォリズムはそれほど多くはないが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンをしばしば称賛している。また、宗教歌やルーマニアの民俗音楽についての言及も残した。それらは彼の哲学的思考の特定の章にニュアンスを与えたり問いを投げかけたりしている。思索全体と対照をなしつつ、音楽に関するものは彼の分析の多くを方向づけている。彼は音楽が深く慰めを与えると主張していた。シオランにとって、音楽は意識を停止させ、絶望に風穴を開け、自己から逃れることを可能にする一種の否定的エクスタシーを表している。ある側面において音楽は「反意識」、さらには「反哲学」を構成する。作家が音楽を過剰な生命力、さらには病的な過剰さと結びつけることも珍しくない。彼のフランス語散文の音楽性はしばしば注目されてきた。さらに、音楽が彼自身のニヒリズムと矛盾することに彼は魅了されていた。これは悲観主義者にとって一種のスキャンダルであった。シオランの思考は美学的というより実存的な経験であり、意識からの逃避路であり、悲劇性を激化させる。シオランにおいて悲観主義者はエクスタシーに誘惑され、音楽は彼の明晰さに「否認」を突きつけ、救済と、引き受けることのできない救済の拒絶との間に葛藤を生じさせる。彼は音楽がエクスタシーと虚無の間の位置を占めていることを自覚している。音楽は彼の哲学を明らかにし、そのニヒリズムを揺るがすが、同時に言い表せないものの生の実存的経験を生きることを可能にする。彼は音楽が個人を明らかにするとは信じない。音楽は個人を溶解させるのだ。音楽は中断を引き起こす……