L’Amour des trois oranges à Lyon : le rire, cette utopie - ResMusica
リヨン国立オペラでプロコフィエフ作曲『3つのオレンジへの恋』を上演、ローラン・ペリーが演出を手がける
リヨンでの『3つのオレンジへの恋』:笑いという名のユートピア
ローラン・ペリーにとって、まるで自身のために作曲されたかのようなオペラの第2版となる演出である。プロコフィエフの2作目となるオペラ作品の驚くべき特異性が余すところなく発揮されている。
クラブの王の宮廷では万事休す、賽は投げられた……。『3つのオレンジへの恋』のルイス・キャロルのような世界において、主たる問題は心気症の王子を「笑いによって癒す」ことである。また、人間を支配する諸力や、悲劇派と喜劇派が対立するメタ劇場についても描かれている。悲劇派、喜劇派、抒情詩派、滑稽派、あるいは空っぽ頭派などと呼ばれようと、誰もがやり込められる。2時間に満たないこの小さなオペラにとって壮大な内容であるが、プロローグと全4幕(カルロ・ゴッツィの同名戯曲に基づき、作曲家とヴェラ・ヤナコプロスが台本を担当)は、その野心のすべてを満たしている。アイロニーや諧謔が逆境にある現代において、9月17日の壊滅的な一夜を経験したリヨンの地で、笑いによるユートピアの表明をリヨン国立オペラで目撃することは、極めて奇妙で、ほとんど闘争的とも言える体験である。
ベルクソンが述べたように「笑いは人間に特有のもの」であるとするなら、オペラにおける笑いはローラン・ペリーの独壇場であると広く認められている(オッフェンバック作品、彼の『プラテー』、素晴らしい『セビリアの理髪師』など)。本誌でも彼に『ワルキューレ』を託そうとは誰も思わないだろうと書かれたことがある(これまでの彼の唯一のワーグナー作品は『ニュルンベルクのマイスタージンガー』である)。しかし、このフランス人演出家は時に単なる大衆の道化師を超え、グラインドボーンでの非常に独創的な『ベアトリスとベネディクト』や、近年の最も美しい舞台の一つであるリールでの『夏の夜の夢』(ロバート・カーセンの演出に匹敵する)などを生み出してきた。驚きこそ少ないものの、彼の『3つのオレンジへの恋』(リヨン公演の合間に、なぜか同じ配役でパリへ引っ越し公演が行われた)は依然として見事な輝きを放っている。
すのこから落ちてきた目もくらむような1枚の紙。この舞台装置は、サン=テティエンヌで2025年に行われたインモ・カラマン演出の『サムソンとデリラ』を想起させるもので、(暗黒の力によって上部が引き裂かれた)白いページとして機能し、上方から現れる多数のパネル(逆さまの、そして正位置のクラブの王、トランプの枠など)や、魔法のように舞い上がるカーテン、波打つドレープを迎え入れる。その明白な簡素さを備えた舞台美術は、ミュージカルにふさわしい主張のある色彩の華麗さに道を譲っている。「音楽を登場人物たちの身体そのものに宿らせる」というローラン・ペリーの信条は、音楽学者ボリス・アサフィエフが「音楽化された見せ物」「可視化された音楽」と評したように、譜面の映画的な動きによって当時のオペラの慣習を打破したいと強く望んでいたプロコフィエフ(「私はアリアを信じない」と語っていた)を大いに喜ばせたことだろう。短い場面の連続によって構成される『3つのオレンジへの恋』は、夢見させる装置であると同時に笑いの装置でもあり、光(舞台の完全な一登場人物)と演技が、魅惑的で詩的なイメージの行進の中で音楽の躍動を見事に視覚化するペリーの演出において、まさにその通り機能している。善と悪がトランプで人間の運命を賭けて争い、恐ろしい料理番の巨大なお玉、見る間に成長するオレンジ、3つのオレンジから生まれる3人の王女、終盤の影絵芝居など、誰もがめくることのできる豪華な絵本となっている。
1921年のシカゴでの初演時と同様に、リヨンでもフランス語で歌われた。当時、アメリカ・デビューを果たしたプロコフィエフは、メアリー・ガーデンの支持を得て、英語や自国のロシア語よりもモリエールの言語(フランス語)のほうが新たな聴衆を魅了できると考えていた。本作は歌うことと同じくらい演技を好む演奏者たちへの贈り物である。自らすべての衣装デザインを手がけたローラン・ペリーのワードローブには、小さな役など存在しない。ピョートル・ミチンスキー演じる非常に気のいいクラブの王、その傍らに控える顧問パンタローネ(見事な歌唱と変装を楽しんだマルク・モイヨン)、ティム・バートン風のおぞましい陰謀者たち(ファルファレッロ役も務めたダミアン・パスと、リュシー・ロッシュの爆笑を誘うコンビ)、セレステ・ピネルのゴシック調のスメラルディーナ、ジャン=フェルナン・セッティの強烈な個性を放つ料理番(ジュール・バスタンの後を継ぐ重責であった)、ダニエル・ミロスラフの力強いバリトンによるチェリオ、別人のように変貌して荒れ狂うガブリエル・フィリポネのファタ・モルガーナ、喉の渇きで息絶える2人の王女(バルバラ・スコラとデボラ・サラザール)、オペラ・スタジオの新戦力であるカタリン・ポップの儀典長とダヴィド・ロテルの布告使、ジュリア・スコペッリティの愛らしいニネッタ王女、安定した高音を響かせたジナード・ヴリーリンクの王子、そして物語が進むにつれて重要度を増すロバート・ルイスのエネルギッシュなトゥルッファルディーノに至るまで、極めて視認性の高いこの舞台で誰もが際立っていた。
合唱もローラン・ペリーによって決してなおざりにされることはない。今回も舞台(素晴らしい群衆シーン)とオーケストラ・ピットの両方で全員が大活躍を見せた。ピットでは、理想的な推進力を持ったドミトリー・マトヴィエンコ(何度も足がむずむずするような躍動感を与えた)が、映像と音楽がいかに互いを活性化させ合えるかを最も美しい形で証明してみせた。
リヨンはかつて、1980年に初演され、何度も再演されてDVDやレコードにも記録された故ルイ・エルロの演出によって、『3つのオレンジへの恋』に関して高い水準を誇っていた。理想的なシーズン開幕の様相を呈した今回の新制作は、その高いハードルを見事にクリアした。
私は日曜日にこの公演を鑑賞する機会に恵まれたが、目にも耳にもごちそうとなる舞台であった。暴力に対する一つの応答の形である。
※訂正(2026年10月26日):翻訳元の記事では、1921年にフランス語で歌われた上演地を「ニューヨーク」としていましたが、楽譜出版社ブージー・アンド・ホークスの作品目録で、初演が1921年12月30日にシカゴのオーディトリアム劇場で行われたことを確認し、改めました。
