Un été avec Nikolaus Harnoncourt, #2 : Bach
ニコラウス・アーノンクールが語るバッハとバロック音楽の解釈

ニコラウス・アーノンクールとの夏、第2回:バッハ
バッハ
神は彼をペンとして用い、音楽が語りうるすべてを彼のインク壺に注ぎ込んだ。もし彼がこの宇宙を、打ち明け話のように流麗で直接的なものにする方法を見出していなかったならば、それは演奏家である我々の肩に耐えがたい重荷としてのしかかっていただろう。
カルヴァン派であるグスタフ・レオンハルトは、カルヴァン派的なバッハを演奏しているように私には思える。私のアプローチはより南方的で、よりバロック的で色彩豊かであり、またより官能的でもある。おそらくは、よりカトリック的だと言えるかもしれない。実のところ、バッハであれヨハン・シュトラウスであれ、あるいは他の誰であれ、私の音楽へのアプローチはむしろ地中海的であると本気で考えている。
バロック
私は自分をスペシャリストだと思ったことはない。しかし、モンテヴェルディからラモーに至るまでの音楽を特徴づけるのは、それが「語る」ということであると確信している。対して19世紀の音楽は、むしろ「描く」ことを目指すようになる。これは1950年代のコンツェントゥス・ムジクスの信条であり、今もそうである。この観点から言えば、単純化し、誇張して言えば、私は「バロック指揮者」であると言える。私がオーケストラ、合唱団、あるいは歌手に求めるすべてのことには、正当な理由がなければならない。「歴史的」楽器の選択そのものが、この言葉、アーティキュレーション、表現への欲求に応えるものだ。端的に言えば、理性のための選択である。音楽とは意味のある言語であり、意味を持つものなのだ。もちろん、それ以外にも目に見えない多くの属性があることは言うまでもない。
この「ニコラウス・アーノンクールとの夏」のすべてのテキストは、1985年から2013年の間にアーティストがDiapason誌に対して行ったインタビューから引用されている。
.jpg)
