Festival de Salzbourg : l’ascèse magnétique du “Saint François d’Assise” de Messiaen
ザルツブルク音楽祭:メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』の磁力的な禁欲

メシアンの『アッシジの聖フランチェスコ』は、しばしば真のオペラではないと批判されてきた。実際、劇的なアクションの代わりに、作曲家自身がサブタイトルに「フランチェスコの情景」と記した通り、一連のタブロー(場面)が連続する構成となっている。ロメオ・カステッルッチは、劇場向けではない作品を儀式的な芸術として昇華させる手腕に長けており、本作の演出に最適だった。彼はマーラーの交響曲第2番やモーツァルトのレクイエム(いずれもエクス=アン=プロヴァンス音楽祭)で見せたように、気負いのない、フランチェスコ的な剥き出しの儀式を創り上げた。
恩寵への歩み
すべてはフェルゼンライトシューレの剥き出しの壁の前で始まる。街のスーツを着た男が服を脱ぎ捨て、修道服を纏う。フランチェスコの恩寵への長い歩みの始まりだ。雨のカーテンの下、修道士たちが加わり、パンを捏ねたり、大きなガラスのオーブンで焼いたりする様子が第1幕で描かれ、その香ばしい匂いが客席まで漂う。後に彼らは粘土の壺を作る。背景では、無限に続く道を描いた絵本がめくられ、そこではレオ修道士(ラッセル・ブラウン)が恐怖を告白したり、耳が聞こえない子供が初めて音楽を聴いて驚く姿が映し出される。
癩病患者の役は二重化されている。ショーン・パニッカーが言葉と音を鮮やかに歌い上げ、一方で、痩せ細った老人が裸で病人を体現する。フランチェスコは彼を優しく洗い清める。
幻滅のヴィジョン
しかし、カステッルッチが提示するのは信仰に対する幻滅のヴィジョンである。舞台の幕には、交わることのない水平線と垂直線が描かれ、十字架の力は否定されている。第2幕では、高層ビルが立ち並ぶ現代都市が逆さまに映し出される。天使役のローラン・オリヴァは、肉感的な声色と高音の軽やかさで歌い上げるが、翼を失い血に染まる。鳥への説教(第2幕)の終わりには、死んだ鳥たちが天井から降り注ぎ、パルジファルがモンサルヴァートに入城する際に殺す白鳥を想起させる。
最後の二つの場面は最も完成度が高く、涙を誘う。舞台全体が土で覆われ、死神が共同墓地を掘る。フランチェスコはそこで聖痕を受け、息を引き取る。タイトルロールのフィリップ・スライは、初演者のジョゼ・ヴァン・ダムよりもドラマチックさは抑えられているが、レガートの柔らかさと繊細な朗唱、そして揺るぎない献身で観客を圧倒する。彼はギリシャ彫刻のような肉体を持つダンサーのように、死にゆく中でエルフのように舞い、悪の力と戦う。
希望の光
最後に癩病患者が戻り、フランチェスコを浄化する。しかし、フランチェスコの墓は冒涜され、その遺体は舞台の隅に投げ捨てられる。悪が勝利したのか。カステッルッチは、迷い込んだ羊の群れを登場させることで、救済への道を示唆する希望の光を残そうとする。これはメシアンの意図とも合致する、少し素朴な演出である。
フィリップ・スライの周囲を固める共演者たちも素晴らしい。レオ・ヴェルモ=デロッシュ(マッセ)、アーロン=ケイシー・グールド(エリア)、そしてベテランのウィラード・ホワイト(ベルナルド)は、確信に満ちた叙情性で観客を魅了した。ウィーン国立歌劇場合唱団(舞台裏から歌う)とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、共感覚的な作曲家が望んだであろう色彩豊かな響きを奏でた。2023年にブカレストで本作を指揮したマキシム・パスカルは、ブーレーズを彷彿とさせる正確さと柔軟さで指揮した。その磁力的なタクトの下で、時間は空間へと変わり、音の饗宴が繰り広げられた。
メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』。ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ、8月8日。8月23日まで上演。