~116~ オーケストラと芸術至上主義 - 毎日クラシックナビ
神戸市室内管弦楽団の選曲を巡る「芸術至上主義」発言に対し、音楽評論家の山田治生氏が楽団運営のあり方を論評
10月1日に神戸市室内管弦楽団の運営財団の理事長が「曲目が芸術至上主義的になっているという意見を踏まえ、専門家がプログラムを固める前に、市民の意見も聞いていきたい」と述べたと報道された(朝日新聞)ことに対し、筆者(音楽評論家の山田治生氏)はその「芸術至上主義」という言葉に激しい違和感を覚えたと述べている。
オーケストラにおいて「芸術至上主義」といえば、かつてトスカニーニが最高の演奏のために楽団員の人権を無視したように、現代ではハラスメントであり死語となっているとし、現代において「曲目が芸術至上主義になっている」と表現することに疑問を投げかけている。ベートーヴェンの交響曲第5番やブラームスの交響曲第1番のような定番曲が芸術至上主義なのか、知名度でそれが決まるのかと問いかけ、今年9月に東京でNHK交響楽団と東京交響楽団が上演したフランツ・シュミットのオラトリオ「七つの封印の書」の事例を挙げた。同公演は滅多に演奏されない作品ながら4公演で計約1万人が詰めかけ、綿密なマーケティングやプロモーションによって成功を収めたと指摘している。
筆者は、知らない曲を「芸術至上主義」として切り捨てる姿勢を批判し、公営の芸術団体が果たすべき役割は質の高い芸術の提供や啓蒙であり、新旧問わずあまり知られていない素晴らしい作品を聴衆に紹介することであると主張した。
また、神戸市側が財団の提案に対して「市民が楽団の演奏に何を望んでいるのかを考えたうえで、何度でも演奏会に足を運びたくなるようなプログラム構成を強く望みます」と回答したことに触れ、神戸市民文化振興財団に対し、「芸術至上主義」や「市民参画」という言葉を言い訳にしないプロフェッショナルな楽団運営を望むと結んでいる。